『晩夏に』北村順子を読了。小桃さんという八十歳をすぎた昔芸者だったこともある元叔母が登場する「トランシルヴァニアの雨」、これがなかなかよろしいです。 さて、菅茶山です。少し前にT堺で見つけて買ってあるのですが、小説ばかり読んでおりますと手
『大谷藤子作品集』は読了。なかでは「山村の女達」が、埼玉秩父の方言に少々まごつきもう一度読み返して、よろしいなあと。 さて、山田稔さんが推奨と目にしたし、年に一冊くらいはノアに注文しなくちゃと思って送ってもらった。 『晩夏に』北村順子(二
『大谷藤子作品集』を読んでおります。この本には、戦前の作品が三篇「信次の身の上」「須崎屋」「山村の女達」と戦後の四篇「谷間の店」「釣瓶の音」「再会」「風の声」が収録されており、戦前の三篇を読み終えたところ。戦後の作品は、「谷間の店」以外は
『海鳴り』28号が到着。表紙をめくって、この一年に刊行された編集工房ノアのリストを見て驚いた。 「桃谷容子全詩集 (未定)」がある。この時期に出るのは何か謂れでもあるのかしらん。 さて、山田稔さんの「「どくだみの花」のことなど」を読む。昨
25日に≪「子の愛の為に」を読んでおりますと、「坊主はどうした。何事もないか」と妻に声をかける場面があるかと思うと、旅先から妻に送った手紙には「ひとり娘のお父さん」と書いていて、ハテこの子は男の子か女の子か? 大正十三年当時は女の子にも「坊
谷崎の『三つの場合』を読了。三つ目の「場合」は、『細雪』の雪子の夫、谷崎の妻松子の妹重子の夫の話で、徳川(将軍家)の血を引く彼も若くして癌で亡くなってしまう経過を谷崎は自分の日記を用いながら綴っている。この本の中で谷崎は口述筆記のことを書
『近松秋江傑作選集第三巻』を読んでしまいました。「子の愛の為に」を読んでおりますと、「坊主はどうした。何事もないか」と妻に声をかける場面があるかと思うと、旅先から妻に送った手紙には「ひとり娘のお父さん」と書いていて、ハテこの子は男の子か女
気づいたことがあるのでメモしておきます。 先日みどり文庫さんで入手した『現代詩手帖 特集戦後関西詩』に中塚鞠子編「戦後関西詩史年表」があって、その一九四七年十一月のところに、≪井上靖の尽力により「絵のある現代詩展」(三越)「詩と舞踊の会」
続いて矢野さんの台から拾った雑誌。 『新思潮14号』(昭和三十一年六月一日発行所三浦朱門方)。収録作は「振興外貨」梶山李之、「紫絵由来」有吉佐和子、「妻たち」竹島茂の三作。『大和通信第一○三号』の「阪田寛夫、能島廉の年譜を編む」中尾務に出
雑誌に混じってこんなパンフもあった。 『PAMPHLET 近松秋江 VOL.2』(昭和六十年二月一日パンフレット近松秋江の会)。 『近松秋江研究』の前身がこのパンフレットである。このパンフは二号止まりで『近松秋江研究』に受けつがれたが、そちらも二号で
昨日の大阪古書会館、矢野さんの台に沢山古い雑誌が出ていて、どれも200円か300円だったので何冊か頂戴してきた。 『古本屋 臨時増刊 内田魯庵氏追悼號』(昭和四年八月廿九日荒木伊兵衛書店)。表紙に貼ってあるのは魯庵のデスマスクの写真である
『台所太平記』は、谷崎家に入れかわり立ちかわりやって来た女中さんの話ですが、古本屋になった人もあったようです。≪夫の中延が職にあぶれています間、はるはときどき遊びに来ては昔馴染の初を手伝って台所の用をしてくれましたが、程なく夫の中延が吉田
『痴人の愛』谷崎潤一郎を読了。小説の終りで語り手の主人公は、≪此れで私たち夫婦の記録は終りとします。此れを読んで、馬鹿馬鹿しいと思ふ人は笑つて下さい。教訓になると思ふ人は、いい見せしめにしてください。私自身は、ナオミに惚れてゐるのですから
『現代詩手帖 特集戦後関西詩』の扉。 この写真は、たぶん杉山平一さんの『戦後関西詩壇回想』(2003年2月2日思潮社)から取ったのだろう。杉山本には、≪後列右から3番目井上靖、伊東静雄、小野十三郎、杉山平一、安西冬衛、3人おいて足立巻一、
まずは武庫川の街の草さんへ。小川正巳さんの旧蔵書を見せてもらう。盟友?であった小島輝正本の括のなかに未所持のものを見つける。 『素顔の大学教師たち』小島輝正(昭和五十九年四月三十日神戸新聞出版センタ―)自筆謹呈箋あり。小島輝正教授が退官す
『痴人の愛』谷崎潤一郎(昭和二十一年二月十日生活社)に取りかかっております。この際手持ちの谷崎小説は全部読んでしまおうかと。 さて、今日は武庫川(街の草)と甲子園(みどり文庫)へ行って来ます。みどり文庫さんに巧く辿りつけるか。
谷崎潤一郎の『蓼喰ふ蟲』を読了。ゆっくり読むつもりでしたが。これはいいですね。 鎌倉文庫版のあとがきで谷崎は、自分の旧い作品を読み返したりすると、≪覚えず冷汗を湧かしたり本を伏せたりせずにはいられない≫ことが多いが、≪たゞ『蓼喰ふ蟲』は今
四天王寺の均一で拾った一冊。 『文藝辭典』(大正十五年五月一日六版創元社)。表紙裏に「函館中学校記念文庫」のシールが貼ってある。 文藝辭典と名のっているのだが、例えば、 クイーン(Queen) 皇女、女王。 グッド(Good) 善、有徳の
『蓼喰ふ蟲』谷崎潤一郎(昭和二十一年二月二十日鎌倉文庫)に取りかかる。これはあわてて読んではいけないような気がします。 離婚寸前の夫婦が妻の父親の誘いで人形芝居(人形浄瑠璃)を観にいきます。≪夫婦はそんなふうに別別の心を抱いて阪急の豊中か
きのうは一日雨、さて『卍』谷崎潤一郎でも読みましょう、と手に取ったら一気に最後までいってしまいました。 こんなところに関心がいくのですが。≪五月十七日、園子より光子へ。封筒縦四寸横二寸四分。圖は横に画いてある。緋色の地に鹿の子の絞りのやう
「伊沢蘭軒」森鷗外を読んでおりますと、(それは『菅茶山』でもそうでしたが)旅の日記をまめにつけていたことでその頃の風景や習慣などがわかるのですが、とくに京都や大阪で記された地名や訪れた場所に今も残る名を見ると、ほうほうとなりますです
古本週間がおわり日常に復する。 一年前のこの時期に薔薇園から貰った「パーマネント・ウエイブ」は、いちおう健在で花をつけている。そして、昨日もらってきたのは、「聖火」という薔薇でありました。 この「聖火」は、1964年の東京五輪に合わせて日
夏の下鴨まで大規模な古書展はありませんから、思い残しのないように四天王寺へ行ってきました。百円均一は、恒例の一袋500円になっていて、ギュウギュウ詰めているお客さんを横目で見ながら、ああいう時もあったなあ、と感慨一入でありました。それでも
遡って、四天王寺の二日目から。 明治の本という感じがいたします。 『掌中山水 乾』幸田露伴編(明治四十五年一月二十八日第四版聚精堂)。全国各地の名所(山水)を綴った古今の文章を集めた本のようです。例えば、「鹿苑、慈照、高薹三寺に遊ぶの記」
ミヤコメッセの百円均一の続き。 『近松秋江傑作選集 第三巻』(昭和十四年十月十日中央公論社)。収録作のうち集英社版日本文学全集『近松秋江集』で読んだのは「苦海」だけなのが嬉しいです。できたら第二巻も見つけたい。(第一巻の収録作は『近松秋江
ミヤコメッセの「春の古書大即売会」二日目に覗いてきました。行くのは三年ぶりでしょうか、今年もパスするつもりでしたが、熊本地震チャリティ百円均一ということなので。10時ちょうどに着いたらおやおや初日程ではないにしても列ができていた。入ってす
四天王寺初日のその他。 『マレー蘭印紀行』金子光晴(昭和十五年十月二十日山雅房)。表紙側のカバーがかろうじて残っております。 富士正晴の献呈署名がありますので拾っておきました。 もちろんすでに架蔵しております。どちらも200円。 鷗