毎年一冊くらいはオオッというような古本に出会うのですが、この一年の購入リストを見ましてもなんだか目につくものがありません。先日の『朝の手紙』阪本周三などは長い間探していてようやく手にしたものですから、うれしいには違いないのですが。 ただ今
今年読んできたもう一人は徳田秋聲でしょうか。 野口冨士男の伝記と評論がさらに読もうという気にさせてくれました。臨川の復刻版全集であるいは文庫で名の知られた長編はおおよそ読んだと思いますが、短編はまだまだ残っていますし、全集にはいくつか未読
手帳を繰っていて思い出すのは富士川英郎、小沢書店から出た富士川の本を好きで集めて書物随筆は読んではいましたが、こちら、『江戸後期の詩人たち』をはじめとする漢詩人にまつわる本は敬遠しておりました。それがあるきっかけから読みだして興味がつのり
手帳を繰ってみると、『晩夏に』北村順子を編集工房ノアから取り寄せたのが5月27日、それから遡って彼女の作品を集めていって、これだけの量になったのでした。 途中、KYOさんから多大の援助をいただき、また思いがけず北村さんご本人から著書を恵まれ
新刊の岩波新書を買うなんて、何十年?ぶりではなかろうか。 『俳句世がたり』小沢信男(2016年12月20日岩波新書)。月刊『みすず』の「表紙裏一頁」に連載された「賛々語々」7年間分をまとめたとのことです。 小沢さんなら、とさがしてみたらあ
最近拾ってきて、時々一句か二句をちらっと眺めております。 『春燈抄』久保田万太郎(昭和二十二年十二月一日木曜書房)。 この字は万太郎ですね。 戦災で焼け出され、生まれてはじめて東京を離れ鎌倉に住みだした頃の句集です。 十一月四日
車谷長吉の小説をこれまでに何を読んだか覚えていないのは、たぶん小説そのものが気持に合わないときだったのだろう、読みだしてもすぐに投げ出してしまう、そういう時期がずいぶん続いたように思う。 『金輪際』車谷長吉(2002年11月10日文春文庫
せっかくだから阪本周三の詩を一篇、『朝の手紙』から。 「みっつになったきみに」 きみがはじめて地上の空気を吸いこんだとき 木々がその枝を揺らし 風が起きた 海では男たちが帆をはった それから きみのかあさんのからだから潮とい
持っているような気もするが、読んでいないだろうとあるところで見つけて買ってきた。『この世に生きること』福原麟太郎(昭和二十九年九月二十日文藝春秋社)装画武者小路実篤。この中の「思ひ出の記」を読む。留学から四半世紀ぶりに訪れたロンドンでのこ
先週の全大阪古書ブックフェアで古書象々さんが戦後すぐの仙花紙本ともいうべき本を均一でたくさん並べていて、状態が悪くないので何冊か頂戴した。 左が『野薔薇』中里恒子(昭和二十二年二月十日實業の日本社)、右が『新月抄』久米正雄(昭和二十二年五
古書会館で拾った一冊。 『道』滝口武士(昭和五十五年七月二十五日宝文館出版)「昭和詩体系」、装釘北園克衛、献呈署名。200円。 大連で安西冬衛らと詩誌『亞』を出していたことくらいしか知らない。生前は『園』(1933年椎の木社)とこの『道』
『朝の手紙』を入手して、あらためてこちらを開いてみる。 『虚無思想研究 第17号 追悼阪本周三』(二〇〇一年十二月二〇日)。阪本周三について書かれたものではこれしか持っていないし、他にあるのかどうかも知らない。追悼文を寄せている方の名に、
年末になって今年一番のお買い物。『エリュトゥラー海案内記』もずいぶん時間がかかりましたが、こちらも出会うまでに相当な年月が過ぎました。 『詩集 朝の手紙』阪本周三(一九八一年一〇月一五日蒼土舎)、装幀菅原克己、高木護宛献呈本。菅原さんが「
古書会館で拾った本から。 『晩翠詩集』土井晩翠(大正八年十一月五日博文館)。こういうのが好きなんですねえ。漱石なら手を出す人も晩翠は見過ごすのでしょうか。300円。 鐘の響きに夕がらす 入日名残の影薄き あなたの森にゐるがごと む
大阪古書会館の全大阪古書ブックフェアで何やかやと安い本ばかり買って、堺筋本町のT堺船場店を覗くと、文庫新書が200円(+税)均一の初日だった。 『エリュトゥラー海案内記』村川堅太郎訳注(一九九三年一○月一○日中公文庫)。その昔、復刊される
昨日のこと、ある方からお借りした貴重な雑誌を持ってコピー屋さんへ。慎重にやらないといけないので、300余枚とるのに一時間半近く立ちづめに。家に戻って点検すると、アリャ!抜けている頁がある。今度は近くのコンビニへ走る。昼食をはさんで、次は簡
買ってしまいました。 『秋聲全集 第十八巻』臨川書店の復刻版。二年程前に天三T書店の均一で購入した残りだと思われます。この最終巻だけ数倍の値段でアマゾンに出しおられました。残り一冊。でもよく考えると、八木書店版の全集を買った方がいいんでし
秋聲を一時中断して、知恩寺で見つけてからそのまま机の傍に置いてあった『噂』1972年11月号を開き「競輪必勝法」能島廉を読む。 阪田寛夫は「よしわる伝」(『文学界』平成四年五月号)の中で、≪題名もついていない遺作の中編小説は、遠い南国の貧
こんな雑誌もあったのですね。 『詩文誌 藁 14号』(昭和四十八年十二月十五日編集人北野豪一)。B4一枚を折っただけでノンブルなし。林喜芳さんが詩一篇「雨」と 「どてした育ち」を連載しています。 季村敏夫さんの『窓の微風』には、≪藁 昭和
神戸の詩人林喜芳の出していた同人誌『少年 三十五号 竹森一男追悼号』(昭和五十五年四月一日)三百部限定。 この中に一枚の写真がある。北村栄太郎の追悼文によると、≪私と竹森一男との最初の出会は昭和二年ごろ、既に故人の吉沢独陽や大橋真弓等と
徳田秋聲の「生きた煩悩」を読んでいて感心したことがある。この作品は、野口冨士男による年譜に、昭和十二年一月『改造』掲載とあり、野口が「政子もの」と呼ぶ短篇だが、終りの方に主人公融が別れた(逃げられた?)政子(この作品では正子)の部屋に行く
先日の矢部登さんの『田端人 第二輯』で目にとまった本。矢部さんの紹介される本は、ほとんどが入手困難だったり手が出しにくかったりするのだが、ネットで格段に安く出ているのを見つけて購入。 『風塵集』吉田泰司、矢部さんの紹介には、≪A5版角背
『大和通信第一○五号』を頂戴した翌日の昨日、お願いしていた雑誌の閲覧に富士正晴記念館へ。 『文芸大阪 第一集』(昭和三十一年二月十五日大阪都市協会)。大阪都市協会は大阪市の外郭団体だろう。読みたいと思ったのは、 「徳丸と僕と」吉田定一、街
『大和通信 第一○五号』を頂戴した。 「川崎彰彦を探して」中野朗の第十九回は「小沢信男さんの手紙」で、この春中野さん等が刊行した『川崎彰彦傑作撰』を贈られた小沢信男さんからの礼状の全文が紹介されている。≪拾い読むうちに、驚いたことが一つ
川崎彰彦文掲載号だけにしようともおもったのですが。 『青素』(構造社)69年年12月号から71年11月号まで不揃い8冊。 これは武庫川ではなく緑地公園です。
土曜日、天気もよろしい、ついふらふらと武庫川まで。『文学雑誌』の置いてあるお店は京阪神ではここしかないだろう。 その『文学雑誌』の表紙。 石濱恒夫 庄野英二 杉山平一 富士正晴記念館に架蔵されておらず、未読の石塚茂子作品掲載号も発見。さら
『花森安治装釘集成』を見ていて、前から気になっている装幀を思い出した。以前にも紹介したと思うが、これの装幀は誰なのだろう。 『新疆紀行』エリノア・ラチモア著、神近市子訳(昭和十七年二月十五日生活社)。 挿絵の画家の表示もない。 最も気にな
徳田秋聲の「お冬もの」五篇を読了。野口冨士男があげていた四篇と詳しいKさんが上げた「好奇心」です。「好奇心」は、純然たる私小説の四篇とは設定が違っていますが、Kさんにお尋ねしたところ、作品中の以下の件などが秋聲の経験した「お冬もの」を下敷