GW間近ということで、公私ともに多忙です(^^;)この辺で猫にでも登場してもらいましょう(=^_^=)赤塚不二夫のマンガの「ナシ」のコマみたいだなあ・・・(^^) 画像 : 愛知県南知多町 日間賀島の猫 (2014年11月 9日(日)午後12時30分頃)
昨秋、妻の実家から球根のおすそわけをいただいたフリージアが、黄色い花を咲かせました。ソテツ、アマリリス、フリージアとわが家のガーデンは、八丈島との相性がよいみたいです。 画像1 : 4月下旬のガーデン 葉ボタンが菜の花みたいになりま
平成27年4月19日(日)、栃木県の廃校廃村への旅、日光市(旧藤原町)五十里(いかり)、示現神社からは、1kmほど北にあると長念寺、五十里分校跡へと向かいました。長念寺という名前も、地域の歴史を記す案内板で知ったものです。狭い階段を上がって見上げた
平成27年4月19日(日)、栃木県の廃校廃村への旅、日光市(旧藤原町)五十里(いかり)では村の鎮守様(示現神社)と長念寺、五十里分校跡、湖畔の集落に足を運びました。示現神社という名前は、地域の歴史を記す案内板で知りました。この案内板は、9年前には
平成27年4月19日(日)、栃木県の廃校廃村への旅、梶又とともに訪ねた、日光市(旧藤原町)五十里(いかり)は五十里ダム建設(昭和31年竣工)のため、多数の住居が移転した高度過疎集落です。「角川日本地名大辞典」には、昭和28年に57戸中49戸が集落外に移
平成27年4月19日(日)、栃木県の廃校廃村への旅、鹿沼市梶又、平成22年8月頃に校舎等建物が解体された梶又小学校跡を改めて紹介します。学校跡には台形状に土盛がされて、その上には青緑色のシートが被せられています。「シートがある場所が学校跡」と割り切
平成27年4月19日(日)、栃木県の廃校廃村への旅、鹿沼市梶又、平成21年に解体されたという浅間神社の跡を紹介します。「南摩川の向こう側、橋を渡ってすぐに鳥居があった」という記憶をもとに川を歩くと、ぼんやりながら、石段を見い出すことができました。
平成27年4月19日(日)、日帰りで栃木県の廃校廃村への旅に行ってきました。バイク(SL 230)は2月に手放したので、交通手段は鉄道+レンタカーに変わりました。栃木ぐらいの距離でも、もうすでにバイクで行けるイメージは湧きません。南浦和−宇都宮は、在来
平成27年3月8日(日)、高知県の廃村への旅、 香南市(旧香我美町)舞川−撫川間の県道沿い(和田の谷あたり)には,人工林の中に石垣,家屋跡が広がっており,クルマを停めさせる強い廃村の雰囲気がありました。和田の谷は撫川の地内、目指す撫川小学校跡ま
平成27年3月8日(日)、高知県の廃村への旅、 安芸市轟−香南市(旧香我美町)舞川間、市境の分水嶺にはトンネル(弓木隧道)が作られています。竣工年は1982(昭和56)年。それまで、轟と舞川を結ぶ車道はありませんでした。計画を立てるにあたって、ルート
平成27年3月8日(日)、高知県の廃村への旅、 中津尾−舞川間、安芸市のいちばん山側の集落跡 轟(とどろ)付近の林道入口には「発砲注意 この付近は人家などあり 注意! 高知県」という案内板がありました。轟の離村時期(推定)は、昭和50年頃。この案内板
浦和は雨続きですが、何とか花粉は明けたかなというこの頃です。本日「HEYANEKOのホームページ」の「500か所超えへの道」の旅行記、富山・石川以北 No.14「研究員・調査官とともに会津路をたどる」〜福島県昭和村並松山、見沢、会津美里町松坂をアップしまし
平成27年3月8日(日)、高知県の廃村への旅、 中津尾を出発し、安芸市のいちばん山側の集落跡 轟を過ぎ、弓木トンネル(昭和57年竣工)を抜けると香南市(旧香我美町)に入り、県道との十字路がある過疎集落 舞川(まいかわ)に到着です。林道(畑山奥西川線
平成27年3月8日(日)、高知県の廃村への旅、 中津尾分校跡前でクルマを停めて、ダートの道を歩いていくと、高い石垣の上に建つ家が見当たりました。山道を上って見に行くと、家は整っていましたが閉ざされて久しい様子でした。家の軒先でパンを食べて一服す
平成27年3月8日(日)、高知県の廃村への旅、 安芸市郊外で朝陽を観察し、続いて走った畑山までの山間の県道は細くて曲がりくねっていますが、対向車はほとんどなく運転は快調です。しかし、県道が林道に変わって、中津尾入口の三差路で対向車を除けるためバ
平成27年3月7日(土)〜8日(日)、高知県の廃村への旅、 「夜に仕事がある」という大原さんとは、南国市後免のレンタカー店まで送っていただき、いったんお別れです。レンタカーはKクラスのMRワゴン。この日の宿は旧夜須町手結山の公共の宿「海のやど しおや
平成27年2月9日(月)、青森県の廃村への旅、青い森鉄道野辺地駅で買った駅弁「野辺地とりめし」、帰路の新幹線(七戸十和田−大宮間)で、ビールを片手に食べました。旅先で食べる駅弁って、不思議にうまいんですね。東京の百貨店の「○○県の駅弁」とかは、
平成27年2月9日(月)、青森県の廃村への旅、青森駅から七戸十和田駅までは、新幹線ではなく青い森鉄道を使いました。目指したのは野辺地駅。野辺地−七戸十和田間は、十鉄バスです。JR大湊線は2回使ったことがあるので、乗り換えで利用しているはずですが、
平成27年2月9日(月)、青森県の廃村への旅、クルマを借りたのは、七戸十和田駅。開業してまだ4年目の若い駅です。確か井手口さんが綴られていたように、新幹線の新駅は、レンタカーとの相性はとても良さそうです。偶然かもしれませんが、その後、当面のレン
先の土日、「廃村と過疎の風景」の端島(軍艦島)探索のレポートを改めてじっくり読む機会があった。15年も前にして、それほど前のことでもないように思い出される。 http://www.din.or.jp/~heyaneko/nhashima.htmlその後脈々と続く廃村探索の中でも、軍艦
平成27年3月7日(土)、高知県の廃村への旅、久重に続いては、小学校の校区だった戸数1戸(H.24)の国光(白木山)と戸数5戸(H.24)の道家に立ち寄りました。道家には、昭和42年が終演となったという道家神楽の舞台が神社(十三躰星神社)の神木を背にして残
平成27年3月7日(土)、高知県の廃村への旅、住まれる方は1戸(H.27)になった久重(くえ)集落、大原さんと離れて少し歩いてみました。小学校入口付近、ウメの花のそばの建物は公民館でしょうか。一見しっかりしているようですが、道を挟んで一段高い場所か
平成27年3月7日(土)、高知県の廃村への旅、人の気配がない白髪を後にして、芸西村の中心集落 和食(わじき)近辺の海岸で簡単な昼食をとった後、めざしたのは戸数2戸(H.24)の高度過疎集落 久重(くえ)です。地形図で見た和食から久重までの距離は約8km。
浦和ではサクラが咲いて、花粉明けが待ち遠しいこの頃ですが、いかがお過ごしでしょうか。 >みなさま本日「HEYANEKOのホームページ」の「500か所超えへの道」の旅行記、 富山・石川以北 No.13 「電動アシスト自転車で訪ねた会津の廃村」〜 福島県金山町三条