<無限と連続> アリストテレスの「連続性」は物理的な対象や変化のもつ連続性だった。この性質をより洗練させるには数学化が不可欠なのだが、アリストテレスにその気はない。 第1話で見たように、アリストテレスは無限概念を定義した。アリストテレスは空
今朝暁橋を紹介した。この橋(=橋梁)の名前は埋立地に特有の明るい希望を示すような命名の一つ。写真も説明文も不十分だったので、再度心を込めて説明したい。 古代ローマ時代以来、アーチ橋は珍しくなく、しかも美しい橋が多い。シドニーのハーバー橋は
この名前の橋はあちこちにある。今日の暁橋は東雲北運河に架かる「単弦ローゼ橋」という、橋のセンターラインにアーチがある珍しい形をした橋。ローゼ橋とは太いアーチ部材に細く剛な柱材を取り付けて桁を吊り下げる、あるいは支える形のアーチ橋である。名
Facebookでフクロウの動画(5月24日)をシェアしたら、多くの「いいね」をいただき、驚いています。どんな生き物も赤ん坊が可愛いのは偶然ではなく、生物進化のなせる技だが、フクロウについての意見を書き加えておきたい。(古代アテネの銀貨、表面はア
5月21日に「運動会の練習風景」を紹介した。そこで運動会はとても日本的な行事だと書いたが、昨日は日本中の多くの小中学校で運動会が挙行されたようである。運動会の意義はさておき、子供たちの元気な姿は見ている観客にも元気を与えてくれる。子供たちが
原子論(atomism)は物質の理論というのが今の私たちの常識なのだが、そんな常識がそのまま成り立たないのがギリシャの原子論で、ギリシャの原子論は自然哲学あるいは形而上学である。その原子論の「原子」とはまるで異なるのがユークリッド幾何学の最初の
首都高速晴海線は晴海と有明を結ぶ全長2.7キロメートルのとても短い高速道路。09年2月に豊洲から有明までの1.5キロメートル区間が先行開通。現在整備中の晴海−豊洲間の道路の全長は1.2キロメートルだが、それでも事業費は331億円。道路全体は17年度に完成
私たちが欲すれば、いくらでも小さい数を選び取ることができるとき、その条件を満たして選び取られた数を「無限小(infinitesimal)」と呼びます。でも、無限小を定義しようとすると、無限小という概念が漠然とした概念であることに気づきます。「無限小」
木遣り橋(きやりばし)は東雲運河をまたぎ、豊洲と有明を結ぶ晴海通りに架かった橋。この名称は、この地帯に戦前から貯木場があったことに由来する。その木遣り橋の下を流れる東雲運河には中州があり、鬱蒼とした森林(のミニチュア)になっている。自然に
与謝野馨氏が亡くなられた。心よりお悔やみ申し上げたい。与謝野氏は消費税による財政健全化を旗印にした政策通で知られたが、晩年は政治に翻弄され、政治通にはなれなかった。10年ほど前、与謝野氏がまだ文化学院の理事(あるいは院長)の時に卒業式で挨拶
(Principiaの発音:プリンシピア、プリンキピア、プリンチピアなど) もう一つのPrincipiaは言わずと知れたニュートンのプリンキピア(Philosophiae Naturalis Principia Mathematica)。Principia(1)では、 Principia Mathematica のPrincipiaとは論理
江戸時代の水辺とはすっかり変貌した今の水辺。この風景が好きだという人と嫌いだという人にはっきり分かれそうな気がする。好き嫌いの理由は様々あれど、つくられた風景とそうでない風景の違いに人々はこだわるのではないか。私たちは色んなものをつくる。
最初のPrincipiaとの出会いのきっかけになったのは、ラッセルの『数理哲学序説』(1954岩波文庫、既に1942に弘文堂から出版されていた)と大学2年の夏休み前に図書館で見つけた彼のThe Principles of Mathematicsだった。どんな風に読んだのかはっきり覚え
大学2年の夏休み前に図書館で見つけたのがラッセルのThe Principles of Mathematicsだった。どんな風に読んだのかはっきり覚えていないのだが、数学についての哲学とはこのようなものだと思ったのは確かで、同じ頃に読んだ田辺元の『数理哲学研究』との落差
ヘーゲルは私からは最も遠い哲学者の一人。妙に生々しいことを考えたという印象をもちながらも、とても読解不能な判じ物ばかり。そして、その代表が『精神現象学』。今回「欲望」に関心をもつと、ヘーゲルも似たようなことを考えていたようだと勝手に思って
ずっと地下鉄を使った通勤だった。そのため、トンネル内では車窓からの風景を眺める、楽しむということができなかった。電車が止まった際に、せいぜいホームの様子を見る程度。 私が使っていた路線では途中から地上に出る。すると、その際に気分が変わる場
「欲望とは、他者の欲望である」というちょっと気障な言葉は、フランスの精神科医、哲学者だったジャック・ラカンのもの。欲望は自らの内にあるというステレオタイプ的な思い込みに対し、それを逆転した視点を与えてくれるというのがこの文の大袈裟な解釈。
運動会はとても日本的な行事で、時には親まで参加を強いられる。運動が嫌いな親子にとっては地獄のような一日。私の場合は、幸いにも普通に動けて、走れたので、自分の属する組に「迷惑をかけることなく」運動会を過ごすことができた。こんな記憶は何とも不
前回は対称性やDNA複製の堅苦しい話に終始したが、今回は対称性の成り立たない、情報の遣り取りのある不安定な世界の姿を浮き彫りにしてみよう。 ゲノムは安定しているようで不安定、巧妙精密にできているようで実は間違いだらけ。合理的に精妙に働くが、
築地から豊洲への移転問題は相変わらず混迷したまま。欠点や問題だけに繰り返し焦点が当たり、利点や長所は忘れられ、無視されるばかり。新しい市場の新機軸は何なのか、古い伝統の捨てがたい点は何なのか、誰もよく知らないまま。だから、和解ではなく対立
古代ギリシャの医者ヒポクラテスは「医学の父」、「医聖」と呼ばれ、今でも「ヒポクラテスの誓い」が医師の倫理として受け継がれています。「人生は短く、術のみちは長い(Ars longa, vita brevis)」は彼の有名な文句。彼の生地ギリシャのコス島にはプラタ
巡視船「かとり」が有明西埠頭に停泊していたが、確か「かとり」は引退したはずと思っていたので、調べてみた。30年以上にわたって、日本の領海警備や海難救助の最前線を担ってきた、旧「しれとこ」型巡視船の「かとり(PL125)」は2016年10月に引退した。1
物理学の真髄の一つとなれば保存則である。エネルギーや質量が保存されることが大前提になって世界が考えられ、理解されている。この世界観をリアリスティックと呼ぶなら、それに対峙するのがロマンティックな「破壊と再生」の世界観。破壊と再生の際の真髄
昨日、江東区内の警察署(深川・城東・湾岸)の合同の訓練が行われた。偶然居合わせた私の写真を何枚か掲載しておこう。警視庁のヘリコプター「おおとり8号」のけが人搬送訓練、警備犬や毒物を使ったテロ訓練などが行われた。私が見たのは午後だったためか
今では時刻表示は12時間制、24時間制がほとんどである。いずれの方式であれ、厳格に使っているかと問われると、自信がなくなる。私たちは融通無碍に使い熟している。「12時15分」と言われても、文脈がわかっていれば何の支障もない。だが、「12時15分」だけ
読者諸氏に二つ質問があります。どちらも「これは何だ、これはどうしたことか」といった好奇心を掻き立てるものです。(問1)最近の建築や工事の表示は「見える化」というスローガンのもと、随分とわかり易くなりました。写真の看板を見て、何の違和感もも
産業革命、資本主義は私たちの欲望を強烈に刺激し、それに個人主義がさらに油を注ぎ、欲望は加速する。欲望にとってはそれらすべてが麻薬となって、人は欲望の塊として生きることになる。そんな目立たない一例が印刷術あるいは版画。大量印刷は欲望を限りな
普通の人が一流のアスリートと同じように競技に参加し、自らの力を試すというのは今では当たり前のこと。色んな競技を普通の人が楽しみ、しかもレースに参加できる、これは誰もが経験してみたい事柄である。そんな試みの中の伝統的なものがマラソンや長距離
最近道路でよく見かけるのがゴーカートの集団。それもほとんどが外国人で5〜10名程でドライビングしている。お台場にカートのレンタルの店があり、主に外国人旅行者向けに営業しているらしい。画像を見れば、確かに外国人。もう一つ不思議なことは、誰もヘ
既述のハンディキャップ理論は人間についても適用でき、幾つもストーリーがつくられている。男性のほうが女性よりも背が高く、体格もよい点に目をつければ、このことをクジャクの場合と同じように物語化できる。男性は食べ物を確保する能力や肉体能力を女性