手元に友人から借りている苫米地英人著『気功洗脳術』という本があります。一昔前ならけっして手にしなかったようなタイトルの本なのですが、著者が苫米地英人なので興味深く読み進めています。 この本のなかで明かしているけれども、苫米地さんは幼少時に
今朝も1:30頃に目が覚めました。昨夜9時頃に眠たくなってシャワーも浴びずに寝てしまったので、まずはお風呂に湯をはり、ゆったりとからだを温めます。それからキッチンでミルクを沸かしてホットグリーンティーを作り、冷蔵庫からクリームチーズと生ハムと
これはすばらしい脳の構造と機能の研究だと言える。脳が物理的に受けたダメージの違いを判別し、個体差に応じてその微細な差異を臨床治療に役立てるという。このデータ研究によると、鬱だとか、統合失調症だとかいった従来の型にはまった問診型分類診断が、
ウベール・ゴダール氏へのインタビュー記事より、抜粋した備忘録的なメモの3回目、最終回です。今回は、抜き書きではなく、Q&Aの形式をそのまま転載してみました。Aが、ゴダール氏のことばです。 「私達は関係性と、重力に対する地面からの応答との間に
今日の日記も前回の続きで、ウベール・ゴダールへのインタビュー記事より、抜粋した備忘録的なメモです。 身体のコアをなすセントラル・ラインには二方向性があるということ……大地に向かう指向性と天空に届こうとする指向性のふたつです。 「もしも、あ
ロケットストーブの仕組みや、試運転時の熱効率について考えるとき、アモッドは同時に人間の身体のエネルギー保存や散逸の仕組みについても考えてしまうのだそうだ。熱エネルギーをどれだけ効率よくとらえ、漏らさないようにして、それをうまく調理に用いた
心臓などの臓器移植をめぐる新しい法案が可決したようですが、脳死を死と認める傾向は、いかにもマインド(頭)と同一化し、頭脳の働きを人間と結びつける現代人の感性や動向を反映しているように思われます……。 数日前の日記で、少し「心臓」という臓
昨日のもんカフェ交流会は、中秋の名月とも重なり、白玉団子きなこ黒蜜のデザートをぶみかが作ってくれました。白玉団子を作ったのは初めてだったみたいだけれど、とってもきれいで美味しく仕上がりました。 メインディッシュは、塩鯖とピーナッツ豆腐。副
『宇宙のマニュアル』グレッグ・ブレイデン著を読んでみた……ちょっと冗長で、ピンとこない箇所も多かったのだけれど、一部、特筆すべき内容があったので備忘録的メモです…… 心臓という臓器は、どうやら生体電磁場の中心であるようだ……心臓の電場の
ことばの世界を離れ、沈黙の深みへと到るために、まずひとは自分自身のことばを持たなければならない……手放すことができるのは今持っているものだけだからだ。自分自身のことばを持たず、借り物のことば、他者のことばで埋め尽くされているひとは、いつま
異界に通じる穴へのセンス 久しぶりに体調不良(昔抜糸した歯茎に破片が残っていて、プレドニン増量で免疫が下がり化膿始めたので、抗生剤注射などの治療を受けたのが原因)でひっくり返ったのですが、熱が下がり、頭痛が取れ
『フェルデンクライスの脳と体のエクササイズ』……冒頭の、「フェルデンクライスはどのようにしてはたらくか」より、若干の引用です…… ―――――――――――――――――――――――――――――――――――― 本「脳は筋肉へ向けてのメッセージを
本来、脳神経系には、感覚器官からインプットされた諸情報(根源的には重力の感覚が含まれている)を迅速に処理して、適切な調整出力(筋肉・運動系)をすみやかに行い、次第にからだまるごとの動きのムダ(エネルギーの漏れ)を省いていって、いつしか優雅
仏教の深層心理学である唯識では、からだやことばに現われる一切の行為は、阿頼耶識と呼ばれるところの記憶の貯蔵庫に深く深く刻まれ種子のように眠りについていて、適切なときとところを得て刺激を受けると発芽し、再びこの現象世界に現われる……このよう
この粗い物質的な現実は、因果律が支配するわかりやすい世界だけれども、少し内側に入るだけで細やかで精妙(サトル)な領域が開かれてきます……そして、その精妙な世界には、なかなか単純な因果律(こうすればこうなる)が通用しなくなってゆくところが微
昨日の午後、ぼくのホメオパシーのアドバイスをしてくれているたまちゃん(新居典子さん)がやってきてくれて、ひさしぶりに話をじっくり聞いてもらいました。このところのホメオパシー騒動も、もちろん話題にのぼったのですが、そのたまちゃんが、ブログで
2時頃、目覚めてみると、2作目が織りあがっていました。しばらくは、経糸を強調した作品を織り続けたいと思っています。織り手はブミカ、色糸の選別と配列のセッティングはモンジュのコラボです。 昨日は、街中で行なわれている友人のアーティストたちの
『こころと脳の対話』というのは、脳科学者の茂木健一郎さんと河合隼雄さんの対談が収録されいている本のタイトルになっているものです。 対談は2006年の春に行われていますので、河合さんが倒れられる直前のものであ、おそらくまとまった対談としては最
友人が、ある歌を紹介してくれました……そして彼は通常の和訳された歌詞ではなく、オリジナルの解釈を加えた字幕を添えてくれていました。スマホではリンクされているのですが、PCからだとなぜか見えないので、彼の歌詞とは違いますが、別のひとがアップ
10月下旬の作品展に向けて、新しいマフラーの制作にとりかかりました。今回、織るのはブミカです……ぼくは経糸、緯糸ともに選びだす役です。色と配列はぼくが選び、実際に織るのはブミカというコラボワークなります。 まずはカシミヤやアンゴラなどの高級
僕が生まれた1953のちょうど90年前の1863年(文久3年)は、日本にとってまさに決定的な年だった。この年、長州藩による外国船襲撃、長州5のイギリス留学とともに、イギリス系の銀行が横浜などに次から次とあれよあれよという間に設立されてゆく。 長州の
Q:昔の聖人と新しい反逆者のあいだには、どのような違いがあるのでしょう? OSHO:昔の聖人は、彼が生まれ育った社会から尊敬され、名誉を与えられていた。彼は社会の多くの規則や基準に従い、聖人として認められるために必要な多くの修行を積んでいた。彼は
この写真は、2008年の5月「チベットピースアート展」に出品した作品です。 手書きの絵が2枚、写真1枚をパソコンに取り込んで、photoshopで処理し、なんども修正を加えて、ようやくかたちになってきました……パソコンの取り込むことを前提の上で、何枚
エネルギーの流れがターニング・ポイントを迎え、方向を転じ始める瞬間には、かならずギャップ、インターバルが生じてきます……。 満月が近づいてきていることもあるのかもしれませんが、少しづつ思考の流れがゆるやかになり、満ちていた潮は引きはじめ
アモッドの車で今日も牛窓海岸まで運んでもらい、アーシング。風が強く、波も高く、水も濁っているけど、水温は充分ありました。 いつもは波が打ち寄せる浜辺にただ立っているだけなんだけれど、今日は、波しぶきを浴びながら、風とゆききし、立ちながら太
昨日手に入れた苫米地の最新本『明治維新という名の洗脳』。今朝から読み始めているが、冒頭のっけからすばらしい切れ味だ。 例えば、明治維新の中心となった長州は、馬関を通る外国船に砲撃を加えたわずか2日後に伊藤らをイギリスに密航させているが、攻
これは比較的長い Q&Aの一節なのですが、そのなかのチベットに伝わる「真実を語る壁」の一節に焦点を合わせてみたいと思います。 ------------------------- ちょうどこの間、ニーラジが私に美しいたとえ話を送ってきてくれた。 ピエール・デラトルの『ダ
Q:反逆者の道は中庸の道でしょうか、それとも極端の道でしょうか? 私は、あなたがその両方を肯定的にも否定的にも語るのを、また道はないとおっしゃるのも聞きました。反逆者を導くものはいったい何でしょう? OSHO:反逆者に従うべき道はない――何らかの
個と普遍について考察する際、ほとんどのひとが侵してしまうカテゴリーエラーがある。まず、ブルーの領域にある個に対置する普遍とはまさに無形なる神のことであって、国家や民族などの有形な疑似普遍性ではないのに、あたかもそれらの有形物が普遍であるか
Q:反逆者は何らかのカテゴリーに属していますか? OSHO:反逆者が現存する何らかのカテゴリーに属するということは、まさにその本性からしてありえない。反逆者は新しいカテゴリーであり、世界に新しい人間を紹介する者だ。彼は新しい夜明け、新しいはじまり