マントラを用いる瞑想の危険性 OSHOの身体論でとりわけユニークなのは、インドの精神霊的世界において神聖なことばとして仰がれ、瞑想にもよく用いられるオームという真言について、第四身体と絡めた深遠で興味深い言及がなされてい
作品展3日目も無事終了しました。昨日までとはうって変わり、無風の凪状態で、お昼過ぎまで来訪者ゼロの静かな時間が流れてゆきました。お陰で、この合間を縫って、遅れているOSHO講話の翻訳を進める時間を取ることができました。 ところが、2時をまわっ
作品展の2日目も盛況のうちに無事終了しました。きてくださったみなさん、ありがとうございます。 まず初っ端は、僕たちが住んでいる地区の民生委員の方々三名でした。7月上旬に羽化する直前の一番しんどかったとき、親身になって生活相談に応じて下さっ
いよいよ28日から、狸庵文庫美術館における第2回作品展がスタートしました。前回、作品搬入を手伝ってくれたユカちゃんに、今日も再びお世話になり、家から会場まで送っていただきました。ラジカセとかの持ち込みもあったので大助かり。ユカちゃん、本当に
福岡には、シンギングリンを用いる音のヒーリングサロン「織音:オリオン」をスタートさせるモコちゃんあり、 東北にはタッチドローイングを通じて人びとの創造性を解き放つお手伝いをされている「オリオンの扉」の倉田ジュンちゃんあり、 そして、四国松
第四身体は、心の本源であり最後の住処 前回の日記で、思考作用と沈黙の関係を第三身体、第四身体、第五身体と関連させながら見てきました……第三身体では思考との無意識的同一化をベースとした論理的/知的活動が行われ、第四身体において、思考
ところでOSHOが無字の公案のプロセスについて一番詳しく語っていると思われる講話は、『隠された神秘』です。OSHOを訪ねてきた無字の公案に取り組んでいた日本人を、OSHOはここで曹洞宗の修行をしたひととして紹介していますが、曹洞宗では基本的に只管打坐
OSHOのサトルボディ論の概要 では無字や隻手音声など臨済禅で用いられる初関の公案に、少しづつOSHOの身体論から光を当ててゆく作業を行いたいと思います。 OSHOの身体論は、邦訳されている講話録のなかでは『秘教の心理学』『
個々三昧と王三昧 臨済禅における無字の公案への取り組み、拈提というのは、実際には「ムー」という音に成り切ってゆくプロセスであることを、昭和の維摩居士と称された抱石庵、久松真一氏は述べていますが、ここで大切なのは
公案拈提のプロセス ここしばらく禅の基本的な公案として知られている「趙州無字」と「隻手音声」を、OSHOの七つの身体論と絡ませながらとりあげてゆきたいと思っています。OSHOの講話に触れた方は、OSHOが禅の逸話や問答
翻訳から出版まで足掛け8年ほどもかかった『一休道歌』上下2巻が、1987年の秋から暮れにかけて、ようやくめるくま〜るから発売され、同時に、禅文化研究所から『さがしてごらんきみの牛』が発行される運びとなりました……。 そしてそれは1985年の丑年
火と水、厳と瑞、太陽と月、経と緯-----こうした双極のからまりに想いを馳せるとき、今日、紹介するOSHOの講話は、とても参考になります。OSHOによると、ヒンドゥー教とジャイナ教は、それぞれ水のエレメントと火のエレメントに働きかける鍵を有しており、
ちょっと仏教を聞きかじったことがある方なら、弥陀の本願とか、菩薩の誓願といったことばを耳にしたことがあることも多いかと思いますが、きっと「通願」と「別願(べちがん)」という呼び方は耳慣れないことと思います…… かつて曹源寺の坐禅会の後で
今回の日記のタイトルとなっている「埋め込まれた無意識」というのは、ケン・ウィルバーの『アートマン・プロジェクト』第11章 “無意識の類型”のなかでとりあげられている無意識の一類型なのですが、なかなか興味深いものがあるので触れてみたいと思いま
仙田典子さんからまわってきた情報です。『畜産と漁業が地球を壊す』。90分のビデオですが、必見です。環境主義と肉食は完全に矛盾し、一致しないということがよくわかります。この映像を見て、ぼくたちも改めて食生活を根本から見直すことにしました。 そ
―――――――――――――――――――――― 誰かをあなたの中心としてもつということは、あなたの生がもはや明け渡された生であるということだ。礼拝するということは、明け渡された生を意味する。神を礼拝することは、神の望むままに生きるということ
今から紹介する日医は、2009年の7月にアップしたものです。当初のタイトルは「太陽が差し伸ばした両手」でしたが、今回、ここに再アップするにあたり『太陽と瀬織津姫の律動---川の流れのささやき』と改題しました。 OSHOのことばから察するに、どうやら古
今日は、朝早く家を出て、神戸三ノ宮行きの高速バスに乗り、阪急夙川経由で苦楽園口へ……そこから15分くらい歩いて、インド料理店シュリアルナにたどり着きました。スリーラは外出していて出会えなかったけれど、サマルパンが暖かくもてなしてくれて、ナン
山水治夫さんの『528Hzの真実』を読むと、プロの調律師として活躍してこられた経験から、調律、調弦に伴う様々な課題が語られることで、いままでもやもやとしていたものがかなりはっきりしてきました。音や音楽を用いる技法というのは、元来、かなりファー
昨日、陽子さんの一周忌に、オーラソーマの新しいボトル、B113のカシエルが届きました。そして今日は、1988年の10/18日、プーナでぼくに小さな爆発が起こってちょうど27年目にあたります。太極拳の後で、さっそくカシエルを使い始めました……まさにグッド
今日は、陽子さんが旅立ってちょうど1年になります。思い返せば、たくさんの友人たちを陽子さんに紹介し、陽子さんもまた気軽に応対してくださいました。 左の写真は、陽子さんがサンパティをリーディングしているシーンです。 2枚目の写真は、ラハシャ
528Hzとは、音の基準とされているラ音(A)の高さを444Hzに設定した場合のド音(C)がだいたい528Hzになることから、近年、癒しにつながる周波数としてフォーカスされている音です。 ラ音は基準音であり、調律などでもこのラ音から始まりますが、この基準
昨日のnadamのコメントにもあるように、カルマパが語った2生前のOSHOの過去世について、またその99体の黄金の像が収められている秘密の場所について、OSHOみずからもそれを肯定することばを残しています…… しかもOSHOは、99体の黄金の像の端から3体目
ゴヴィンダ・シッダルタによって記録された、カルマパ16世のOSHOについての物語をつづけてゆきたいと思います。700年前のチベットにおける過去世についてはOSHOみずから語っているのですが、このときカルマパが語ったのは、その700年前よりさらにひとつ前の生
チベット仏教について考える上で、転生ラマの存在を避けて通ることはできません……現在のダライ・ラマは、ゲルク派の14世で、観世音菩薩の化身とみなされています。 歴代ダライ・ラマの系譜 http://www004.upp.so-net.ne.jp/teikoku-denmo/no_frame/history/
ぼくが初めて天河神社を訪れたのは、約30年前の1981(昭和56)年の5月の満月の翌日で、前日の満月の夜は鞍馬山にいました……天河神社は、当時、アンディウォーホールの新作展を仕掛けていたシャンタンの勧めでした……そしてこの訪問は、宮司さんにOSHOの
さてさて、今日の鍵のお話は、少しエソテリック(密教的)です…… OSHOがこうした超エソテリックなことがらについて1講話を費やすというのも珍しいのですが、ここではほとんど聴いたことがないような内容のことが語られています。興味を掻き立てられる
1988年の年の瀬ぎりぎりに、帰国したぼくとぶみかは、年明けて、京都の上高野の大明神荘に住み始めました。昨日の日記で紹介したように、亀岡の十和田龍さん宅や、曹洞宗の禅寺西光寺にもよく足を伸ばしました。 西光寺には当時、田中真海和尚が住職をして
ぼくとブミカが京都から岡山に越してきたのは、阪神淡路大震災とオウムによるサリン事件が起こる前の年の秋でした……京都時代の大半は、上高野にあった大明神荘という小さな学生アパートに大勢のサニヤシンの友人たちと一緒に暮らしていました。そしてこの
1990年出版の『反逆のスピリット』と1991年出版の『予言と神話〜出口王仁三郎と霊界物語』には、奇妙なデザイン上の符合があります……これはデザイナーに当たって調べたわけじゃないのでよくわからないのですが、面白い一致です。果たして意図的になされた