のぞみちゃんの自転車 福井県敦賀市 西澤 祐次(47才) 私は慢性病のため、なかなか仕事に就くことができない。履歴書の健康状態の欄に病名を記入しただけでアウトである。返答すらない。そのため、我が家は経済的に厳しい状況にある。しかし、妻と子
ロイヤルチェスター・ホテル、教え子の脇野さんと股野さんの披露宴に出席しました。司会者の第一声で披露宴会場が爆笑に包まれました。「ただ今より、ワキノケとマタノケの・・・・。」
「荒野の七人」(1960年)、黒澤明監督「七人の侍」(1954年)のリメイクです。黒澤組の千秋実さん、黒澤明の傑作は「七人の侍」だけだと言っていたのには驚きました。その黒澤明が尊敬するのは西部劇映画ジョン・フォード監督。「荒野の七人」の敵役、ボスの
映画「大脱走」(1963年)は、実話です。監督は「荒野の七人」、「マックQ」、「鷲は舞いおりた」等の、ジョン・スタージェス監督。音楽は、「荒野の七人」、「十戒」、「黄金の腕」、アカデミー作曲賞「モダン・ミリー」等の、エルマー・バーンスタインです
長崎県内最初に開校した公立小学校の勝山小学校(現:市立桜町小学校)の卒業アルバムが出てきました。寄せ書きに「将来は、大工になりたい」とちゃんと書いたのに、大工の「大」の上半分がかすれていて「ハエになりたい」になっていました。
ここ長崎県南島原市加津佐町「巖吼寺」(がんこうじ)は、長崎商業の高校生の時の美術部の合宿の場所。真夜中のお寺での肝試し大会、前浜海水浴場の砂浜に寝転んで始めて観る満天の星、無数の流れ星に全員息をのみました。あれから50年、経ったのですね。
南島原市口之津町の早崎漁港のアコウ(赤榕)です。クワ科イチジク属で樹齢300年。ここは早崎半島の突端で天草がすぐ眼の前。何れも古樹・大樹ぞろいです。説によると有明海の干潟ではアコウは育たず、アコウの実が南方から流れ着く先がここ早崎海岸なのでし
クイーン・エリザベス号です。90.400トン、全長294m・全幅32m・高さ62m。乗客2.092人。客室は1.029室。東京〜フランス〜東京12日間82万円(窓なしシャワーつき)。03-5323-5222.
「ニュー・シネマ・パラダイス」。最初は、長崎の「セントラル映劇」という小さな映画館で観ました。その時の観客は、アベック一組、女性二人組とボクの5人。ラストでは、5人全員が嗚咽泣きでした。東京ではキャパ200人の「シネスイッチ銀座」での「ニュー・
ボク「ブルマンジャロって知っていますか?」渡海先生「知っとる知っとる。あのコーヒーいつも家で飲んどる。うまか。」ボクも飲んでみたい。
今日、一学年美術の授業が終わりました。最後の授業は映画鑑賞、「オーロラの彼方に」。皆さん、怖がって隣の生徒の後ろに隠れたり、口を押さえて驚いたりラストでは涙ポロポロ。泣いたり笑ったりと大急がしの2時間でした。感受性が豊かなこの時期に映画は最
「アンタッチャブル」(1959年ー1963年)。実録犯罪TVドラマです。1930年代の禁酒法時代のアメリカを舞台に、FBIエリオット・ネスがアル・カポネをはじめ、シカゴ、ニューヨークなどのギャングと戦う姿を描いています。原作はスポーツライターだったオスカ
「コンバット!」(TV1962〜1967)。第2小隊の隊長ギルバート・ヘンリー少尉(身長193cm)と、一分隊を率いる隊長チップ・サンダース軍曹(身長180cm)とを中心とした歩兵達の「ヒューマンドラマ」です。主題は、戦争を通じた人間模様でした。敵役のドイツ兵、
「この世の果てまで」(The End of the World) は、米国の女性カントリー歌手、スキータ・デイヴィスのヒット曲です。1962年に発売され、世界的に流行しました。作曲はアーサー・ケント、作詞はシルビア・ディー。1963年、Billboard カントリー・シングル・チ
あのときのガムの味 東京都八王子市 原田ゆかり(28才) 七年前、新人社員として気張って仕事に打ち込んでいた私。何もかもが絶好調と感じていたのもつかの間,すべてが一転して空まわり状態。上司受けの良い反面、お局様の攻撃の的になり、中堅の男性社員
正月明けの林家正蔵邸、どうしてモチにカビが生えるのだろうと弟子たちが不思議がっています。 正蔵、「てめえたちゃ、そんなこともわからねえのか」。 「し、師匠はなぜモチにカビが生えるかご存知なんですか?」。 「知ってるとも」。「ど、どうしてなんで