家でテレビなど月にいっぺんも見ないが、昨夜は、ペルーに渡って五十数年、天文観測に人生すべてを賭けた MUTSUMI ISHITSUKAというひとを紹介した番組を見て、いたく感動した。今週末の今宵も、仕事をおえると山辺美ヶ原温泉が背負ってる山を歩き、薬師堂を参
今日も仕事は早く終わったつい最近みっけた浅間温泉の裏山を歩くべく、肩にカメラをかけ、温泉街を上がっていった。初夏に開催するツールド美ヶ原。まず最初に始まる美鈴湖への本格的な上りは、ここいらから。激坂にさしかかるあたり。昨夏は、このずっと上で
「下品こそこの世でもっとも醜い言葉私はそれと闘う仕事をしています」と言ったひとがいるフランスの女性である<下品こそこの世の花>と言った男もいるわれらが鈴木則文(のりぶみ)だ亡くなったのは昨年の5月。「トラック野郎では、うちの田舎にロケで来て
夕方しごとを終えるとうれしくって、山辺の湯に漬かりに行った林道湯の原線をすこし走ってから、細い小路がつづく和出の集落に踏み込んでみると、ある玄関先、QPさんふたりがタライ風呂に漬かってた写真を撮っていると、そこのうちのオカミさんが出てきて、「
新しく友人になったひとで、演歌系はそんなに好きでもなかったようなのに、お千代さんの愛のさざなみには感動した、という日記を読んだそれでおれも久しぶりに聞いてみたんだNHKの「あの人に会いたい」という番組で、お千代さん亡くなるちょっと前くらい、七
中原(チューゲン)寮4年の年の暮れ。東大雪ニペソツをやりに行った月世界のようなニペソツ山頂を踏んだあと、五日ぶりに人間世界に帰還したところがホロカ温泉。雪に埋もれる林道奥の一軒宿。部屋は空いてる、素泊まりもできる、というんで、一世一代のぜい
文太40歳。女性週刊誌が家族と散歩する姿を激写したところ、文太は激怒した。東映撮影所にわびを入れに来た編集長に文太はこう言った。「ペンの暴力でくるなら、こっちは本物の暴力でいく。カメラマンはともかく、取材を命じた編集長とデスクの2人をブン殴
ミクを始めたころ、学生時代に描いた女性像を載っけたことがあったが、久々にまたUPしとく。これら貴重な資料は、おれのチューゲン3年時と5年時、春に松本から伊那の専門課程に上がってくる新入寮生に描かせるお手本として製作したもんであった。げんさん、