三十日朝。三日四日五日付の広告チラシ5〜6トンを積んで塩尻へ。間近に鉢伏を見送る田川沿いの道。山と畑が俺に語りかける信州三十四年、お前も信州の土だと。日常の一日でもこの時期になりゃあ非日常だ道はガラガラ。三十日まで仕事してるような奴ぁそんな
さすがに年末忙しく、いつも以上に寝る間がないが、かえって覚醒されとるんで日記を書いとこう井藤の奥さんから喪中が届いたのが八日。夫 孝司(たかし)が十一月二十日に急逝いたしました とだけ書いてあった寮友たちに知らせた誰もしらないままだたった夏
今月2日付朝刊より毎日新聞晩年の菅原さんは、俳優業から遠ざかる一方で、社会的発言を増やしていく。言いたいことを恐れずに言う。その姿勢には、社会の主流に物申すアウトローの心意気が最後まで宿っていた「仁義なき戦い」は、手持ちカメラで踊るように撮
今朝はマイナス9ばか行ったらしい常念に初めて登ったのは大学5年のクリスマス、後輩二人を連れてった。最終キャンプを張った山頂直下のテントん中、鍋で煮ていた熱湯を足でひっかけてひっくり返しやがるわ、キャンドル立てて歌ってやった「安奈」はコケにし
今朝はたっぷり寝なおした部屋片付けに、手紙、お年賀書き始め、と行ってみようか12月2日の朝刊各紙を紹介しとこう十月の福島県知事選で脱原発候補を応援する「全国勝手連」に参加した。勝手連代表の河合弘之弁護士は「「勇気ある映画俳優だった」と悼んだ
酒など飲まなくても酔わしてくれるものがこの世にゃあるたとえば歌ありがたき友人この世の贅沢・風呂それから親兄弟家族山、旅、異郷の空・・うん、祭もあったなそして、・・・いや、やめとこうまた品のない日記になる・・今年も大詰めであるまだひとつふたつ
ここんとこ毎朝氷点下5度ばか。しかしあったかいかっこうでやってれば、朝刊配達もまったく苦ではないおわりころはポッカポカになってきて、クルマの暖房もいらんほどだあたまに巻いているのは、いのうえみどりさんマフラー。ペルーアンデスの帰りに買ってき
十二月三日は、二十二のトシ、バイクで岡谷のカニジョんちへ初めて行った日。おやじさんにショーコー酒飲ましてもろて(マズかった)、となりのうちのニイさんに、ちかくの飲み屋へカノジョともども連れてってもろて浮草ぐらし唄って(カノジョは一緒に唄うの
シビレル男というのがいた滑稽とカッコ良さは究極であったトラック野郎を観たのは今年になってからだオレにとって、間に合った、というとこだろう80年代、東日本海フェリーの船室で、リマの日本人ペンションで、もし観ていたら、いったいどんなだったろう
秋の夜は、はるかの彼方に、 小石ばかりの、河原があって、 それに陽は、さらさらと さらさらと射してゐるのでありました。 陽といっても、まるで硅石か何かのやうで、 非常な個体の粉末のやうで、