尾崎豊には、なれないけど、尾崎豊の言動の意味を語る事ならばできる。ボクは、別人格と異世界を抱えている。それが、解離なのか? 空想なのか? もう、考えるのも、こだわるのも、やめた。ボクは、ボクであり、人格は人格だよ。記憶の喪失もあれば、記憶の共
思考の障害である雑念だったり、記憶や意識の障害である解離とかが確実に見られるらしい。精神的・人格的には、意外に安定しているらしい。徐々に、段々とだけども、改善傾向にはあるらしい。主治医の先生の仮説であって、断定されていない。医学上では、解離
今は、ボクにとっては、良い時代だと言える。情報戦(マスコミ)に一般人も、参加可能な時代、ネットを使えば、グローバル(国際的)な表現活動が可能になる。まさに、表現者には、夢のような時代だ。金にならなくても、情報発信に意味があるからな。
奴の発言によるストレスダメージを全部、ボクが受け入れ、人格交替を起こさずに、奴とたたかい抜いた。だが、奴は、何を語っても、何度何回も、説明しても、わかっていない、わかろうともしていない。いくら博愛の持ち主でも、仏の顔も三度まで。鬼の目にも涙
妹は、ボクの機械や薬品を管理している。仕事には就いてない。軽度の不眠症がある。役割分担として、家事手伝いを任されている。対人恐怖があり、ヒキコモリがち。ニートの定義によるが、妹は、ニートではない。ボクの全人格の管理者である。妹は、感性が鋭い
ボクは、ずっと、ずっと、他人と自分を救い出し、守り抜く力を求めて生きていた。心理学に基づけば、恐らく、メサイア・コンプレックスなんだと思う。ボクは、世界平和を目指す武道家でありたい。殺人じゃなくて、活人の為に。博愛の下で、戦い続けたい。それ
これこそが、ボクのボランティア精神。生まれてから、見返りを求めた事なんて、一切ない。求めなくとも、自然にやって来る。無欲で居れば、自然の法則に乗れる。せいぜい、ボクが欲するとすれば、《力》だろうな。争う為のじゃなくて、止める為のな。欲する心
心理療法に音楽を使う事があります。そういった心理療法に役立つ音楽こそが文化の極意。音楽以外には、心理療法がボクには少なくとも思い付かない。 基本人格:賢太郎より。