ひょんなことから、腕相撲大会をすることになった。それは男子8名にてトーナメント形式で執り行われる余興のようなものだった。でも、何人かの女子が周りを取り囲んでいたことから、みんな目つきは鋭く、準備運動をする人まで出てきた。 ぼくの初戦の相手は
51歳の正岡さんに、童貞を捨てたのはいつですか、と尋ねると「50です」という答えが返ってきた。はじめは冗談と思い、迎合する笑いをしてみせたのだけれど、正岡さんはいたって濁りのない目でぼくを見据えていた。どうやら事実であるらしかった。ぼくは
こどものスクール水着を買うため、スポーツ用品店へとおもむいた。そこは学校から指定されている店舗で、主に上履きや体操服などの体育用品を取り扱っている。他に競合するような店もないからか、とくに目立つ看板はなく、静かな住宅街にふいと現われる。立
理事長が誕生日をむかえるのでお祝いの動画を撮りたいと思う、と聞かされたのが朝の会議室だった。その声の弾み方にはいかにも盛り上がっていこうぜ、といった熱が感じられ、ぼくはこれにめまいを覚えた。しきりに反対の意を示す目線を送ったのだけれど、だ
目が覚めると、からだに何か暖かなものが流れ込むような感触があった。ごくまれにそういったことが起こる。今までの経験からすれば、これを良い兆候として受け止めてしまっても差し支えはない。おそらくこれは勘にすぐれた1日を送ることができるという前触
いま苦手としているものは、けっこう子どもの頃の体験が関係していたりする。犬という動物にたいしてぼくは、少なからぬ恐怖をおぼえて近寄らないようにしているのだけど、これは小学2年のときに眼前で林くんという子が野良犬に噛まれたことに端を発している
住宅街を抜けて細い山道に折れたのが、ちょうど夕暮れから夜に移り変わるころだった。森には群青っぽい空気が次から次へと下りてきて、そこら中にあった影をみるみる溶かしていく。さきほどまで降っていた雨はいつのまにか止んでおり、むんむんとした湿気だ
階下の祖母は、0時を過ぎたころに何かを思い立ち布団から抜け出ると、からからと居間の雨戸を開けはじめた。それから夜のひんやりとした空気を肺にとりこんで、なぜかテレビの音量を68にまで上げていった。深夜の粛々としたニュース番組が暴圧的な音声で
いつもの混み合う電車内に、乗客の群から上半身を突き出している男がいた。天井に届いてしまいそうな頭を、窮屈そうにかがめている。一見、脚立か何かにのぼっているのかとも思ったけれど、当然のことながら車両に脚立があるわけもない。それが見たままの寸
図面上で機械室とされているそこは、もはやぼくたちの間では物置という認識をしており、これまでいろいろな物を投げ込んできた。そのほとんどは書類の束なのだけれど、これが尋常な数ではない。本来ならばその部屋のメインであるはずの複雑な装置はどこかに
知人が首を寝違えた。本を読んでいる時も花に水をやる時も、雨にけぶる街を窓からのぞく時も、常に首を少しだけ傾けていた。 彼女は朝起きると、自分の首が軸を失って、重力のきつい湿地の中にあることを知った。何をするにも、へばりつくような痛みに動
いつかの新聞に自動ブレーキシステムについての悲しい記事が載っていた。ある男性は新車の購入を考えており、近くの販売店におもむいて試し乗りをさせてもらうことになった。店のまわりを5分ほど運転して戻ってくるコースで、走行の具合を確かめていく。そ
電話がとても苦手で、ことカスタマーセンターなどの顔も知らない人となれば、番号をプッシュするまでにかなり時間を要することになる。頭の中で自分が何を聞きたいのかをまとめつつ、何度か練習をしてみる。それから水で喉をうるおして、咳ばらいをしながら
何としてもこのスーパー銭湯で仮眠をとりたかった。ここでどれだけ体を休息させることができるか。それによって向こう3日間の明暗を大きく分けることになる、個人的にきわめて重要な時間だった。にもかかわらず、どうやってもリクライニングシートにぼくの
昨晩、街中をランニングしていると、頭の奥の方でコロコロという音がした。そこで何か軽くて硬いものが転がっているような感じがある。以前からたまにそういった音を聞くことがあったのだけれど、この時はとりわけダイナミックな転がり方をしていたみたいでか
研修と聞かされて神戸にまできたのだけれど、異様な暑さだった。とても耐えがたいもので、鼻下のくぼみに汗がたまるたびに手で隠しながら舌で舐めとった。専用のバスがくるという話だったけれど、すでに予定の時間をいくらか過ぎており、もしかするとぼくが場
会議がうだうだと長引くので、向かいの壁につるされたサイの写真をみていた。右側面をとらえたそのショットは、皮膚のごつごつした質感や灰色ににじむ闇の気配なんかをありありと映し出していて、今にも差し迫ってきそうな雰囲気がある。なんで会議室にサイ
ジーパンにベルトを通す際にどっちから差し込んでいけばよいのかわからなくなり、たぶんこっちだろうと通してみると、いつもと反対回りになってしまった。やり直すのも面倒に感ぜられ、それからいつもと逆の手でぎこちなく調節して過ごした。後で気づいたの
調べてみると日曜日に診察してくれる歯科医院があるらしく、電話で予約を入れた。その際に地図で何となくの場所を見てはおいたのだけれど、いざ自らの足でおもむいてみると、それらしき建物がいつまでたっても見つからなかった。時間に余裕をもって家を出たこ
団子屋の前に長靴が脱ぎ捨てられていた。かなり使い込まれたもので、泥とホコリにまみれている。晴天の下で不可解に黒ずむそれは、団子屋の印象を馬糞くさいものにもさせる。持ち主の姿が見当たらない今、誰かがこれを退けるなどの対処をせねばならず、しか
ごくまれに、あの人どうしているかなあ、なんて考えていると、次の瞬間にその人から電話がかかってきたりする。はたまたエスカレーターですれ違ったりする。過去には同じ人と4日つづけて別の場所で出くわしたこともあり、その確率といったらもう見当がつかず
むかし、サッカー部にまたぎフェイントをかけるのが大好きな人がいた。ボールをもつと彼はひたすらそれをまたぐことに夢中になった。そのあいだに味方がパスを要求しようが、どれだけ戦局がきびしかろうが、彼はその一切を視野に入れずにボールをまたぎ続けた
同じサンダルをずっと履いている。どれくらい長い期間であるかは裏側をみるとよくわかる。地面との摩擦を気が遠くなるほどくり返して、いま完全な平面となり果てた。かつてそこに刻まれていたメーカーのロゴは消滅して久しく、指をすべらせてみれば、すこし
公園で空をみあげると妙な物体が浮いていた。それは小さな白い球体のもので、空にぴたっと固着している。以前、こどもが手放した風船がゆらゆら上空へのぼっていくと、ちょうどあんな感じに見えたことがあった。でもその白いものは、いつまでたっても小さく
便所のドアをあけると、中で虫がブンと羽ばたいたのでドアをしめた。ぼくは悲鳴をあげながらキッチンまで走った。腕を噛んで声を押し殺せばよかったと思うもすでに遅く、胸をたたく心音も漏れ出ていってしまう。寝起きの血管がきゅっと細くなって、ぼくは片膝
となりの席で芸妓さんの面接をやっていた。女将らしき人の向かいで、おとなしそうな女の子が緊張した面持ちでいる。なかなか目を合わせることができず、何度か言葉につっかえる場面もあった。でも、彼女は踊りへの情熱をしたたかに携えているようで、それを
切り立った崖の下にテントをはって、川をながめた。そこには魚がうじゃうじゃ棲んでいるらしく、大人から子供まで一様に腰をかがめて、中をのぞきこんでいた。用意のいい人は、虫取り網みたいなものを持っていて、上手に川底の魚をすくいあげてみせる。そうす
一睡もせずに朝をむかえた。電車の椅子にもたれると、もう何も考えられなくなった。どんどん意識が遠のいていく。向かいに座るおじさんは、そんなぼくのことをじっと見ていた。だからぼくもおじさんを見つめ返した。おじさんと目を合わせた感触は、少しのあい