ボートをこいでいると、おしっこがしたくなったので湖に放った。べつに開放的で気持ちがいいということもない。むしろそこには誰にも見られていないという緊張があった。ひたすら水平的に広がる湖はそれだけで何かが差し迫ってくるように思える。ぼくは下腹に
テント小屋でお蕎麦をすすっていると、隣のテーブルに見覚えのある男がいるのに気づいた。はじめはそれが誰なのかわからなかったけれど、ふとした時の口元の動き方が、記憶にぱっと光をあてた。彼は以前、公園で大道芸を披露していた人だった。 そのとき彼
森の奥に工房があって、そこでひたすら木彫りのフクロウをつくっている人がいる。壁には大小さまざまのフクロウが無数にかざられて、静かにその彫刻家をみつめていた。しんと静まり返った森の中に、木を削る音だけがこだまする。ぼくは遠くからその様子をう
ごくまれに、小さなヤモリをみかけることがある。それに悲鳴をあげる人もいるけれど、ぼくはそのフォルムをとてもかわいらしく思う。パーにした手をぺたぺたと前に出して、ぷっくり膨れたお腹を重たそうに引きずる。ビーズを縫い付けたみたいな目があって、純
学校についたときには、すでに校庭は色とりどりの敷き物で足の踏み場もなかった。場所取りのために早く起きたのだけれど、いかんせん歯みがきをのんびりしてしまった。熱心な父兄たちはもっと早くに到着して、とっくにスペースを確保していたのだ。ぼくは仕方
妻が中学生のころ、クラスのごく一部で、意図的に気絶をさせ合う遊びが流行ったらしい。胸部を強烈に叩くことで意識をどこかへ飛ばし、その浮遊感を体験する。もちろんそれは下手をすれば死にもいたる極めて危険なもので、あまりにも無知で浅はかな行為だ。
ウルグアイのホセムヒカという人は世界一貧しい大統領と呼ばれている。自分のためにほとんどお金をつかわないことからその名がついたそうだ。以前、氏が日本について語っている記事を目にしたことがある。氏は利便を重視したテクノロジーの発達に、首を傾げる
妻がぼくの膝裏をくんくん嗅いだあと、激しくえずいた。しばらく妻は壁に手をついてむせこみ、ぼくを哀れむように見ていた。すこし落ち着いてくると、妻は涙をふきながら、臭すぎるわと言った。でも気を落とさないでね、もしかするとこれは生物学的に家族に
誰かがリモコンでぼくの舌を動かしている。その人はとても意地が悪く、たとえばぼくがレストランで料理を注文するときなどに、早送りのボタンを押してきたりする。そうするとぼくの舌はぶるるんともつれてしまい、もはや何を注文したいのかが正確に伝わってい
首の真ん中にホクロがあって、これを指でもてあそんでいた。すると知り合いのフィリピン人がつかつかと近寄ってきて、ぼくの指を払い、ホクロをまじまじと見つめる。彼女は、しばらくうなったあとに、「あなたの二番目の子がすごい」とぼそぼそ言った。あとか
近頃、職場でよく盗難が起きる。中には5万円が財布から抜き取られていた人もいたりして、笑えない日々が続いている。はじめのうちは外部からの侵入を疑って、ものものしい鍵を取りつけてみたりしたけれど、それが適切な対策だったのかはわからない。なんとな
ラーメンを食べると必ずお腹が痛くなる。それが美味しくても、そうでなくてもぼくは夜中に目が覚めて、便所に駆け込んでいく。そこで荒く呼吸をくりかえしながら、昼間の一杯について思いをめぐらせる。この痛みと引き換えるだけの価値がそこにあったのか。い
昨日、子供を保育園にむかえにいった帰りに、右目を虫にさされた。自転車の後ろに子供をのせて走っているときで、まるで吹き矢で狙い撃たれたみたいにさくっとやられた。ハンドルがぶれて、アパートの塀に前タイヤがこすれた。ぼくは自転車から降り、目を押さ
火事場の馬鹿力という言葉がある。調べてみると、切迫した状況に置かれると普段には想像できないような力を無意識に出すことのたとえ、とあった。火事場から主婦がタンスをかついで出てきたという話もそこで持ち出されている。でもぼくは、この言葉が本当に伝
右目と眉のあいだから白い毛が一本だけ生えていた。いつからあったのかはよくわからない。気づいたときには、けっこう長くなったそれが垂れていた。なんだか珍しさとかわいらしさがあって、それからぼくはこれを意識的に伸ばしていくことに決めた。でも鏡で見
藤原、とネームプレートに書いてあるので、ぼくはその人のことをふじわらさんと呼ぶ。そうすると彼女も振り返って、返事をしてくれる。一緒に仕事をするようになって3年くらいになる。でも、ふとした場面で、彼女が自身を、ふじはら、と名乗ったことがあった
いろんなところからボールペンを持ち帰ってくる。職場から葬儀場の受付にいたるまで、一時的に借りたペンを、そのままポケットに入れ込んでしまう。あくまで無意識のうちにやっていることだけど、もしかすると底意地の悪いたましいが、ぼくの中に存在している
新車のハンドルを持つ手がいまだにふるえている。もう二週間くらいたつけれど、まだシートに体がうまく馴染んでいない。新車を新車のままで維持させようといった当初の誓いが、結果的にぼくを神経質にさせ、そして苛立たせることになっている。 慣れてきた
スーパーの乾物コーナーで、きざみのりを手にとった。お買得商品とあって、それなりの値下げがされている。内容量も悪くなさそうだった。パッケージの裏を見てみると、きざみのりをつかったレシピとして明太子チーズパスタの作り方が、かわいらしい挿し絵とと
知人が悩みをかかえた。自転車に乗るとふらふらして人にぶつかりそうになった。みるみる痩せて、眼窩が落ちくぼんだ。口数がへって、あたまが思弁でぱんぱんに膨らんだ。日に何度も舌打ちをするようになった。ある晩、知人によびだされてぼくは駅に向かった。
だれかと食事をしながらおしゃべりをする。ぼくはこの営みをとても難易度の高いものとして位置付けている。それはあくまでぼくにとって、せわしすぎることに思えるからだ。当たり前の話だけど、食べ物と言葉は、進行方向こそ違えど、どちらも口の中を通ってか
朝、自転車のうしろに子供をのせて保育園をめざす。いつも支度に時間がかかるものだから、ぼくはぜいぜいと息を切らしてペダルをこぐはめになる。道中の景色をたのしむ余裕は少しもなく、知育の方もスイカとからすを延々と言い合うだけのしりとりですます。た
バス停の時刻表をのぞきこみ、まだ時間があるとでも思ったのか、そのおじさんはぼくたちの前で立ちションをするにいたった。ふらふらと列を脱していくので、はじめはタバコでも吸うのかと思ったけど、おじさんはおもむろにチャックを下ろしていき、パーキング
三半規管の老化が著明で、よく目がまわるようになった。ブランコをこぐ時も、はじめのうちはぐんぐん勢いをつけて上にある葉っぱに足を届かそうとするのだけど、急にくらくらとめまいがして、かかとでブレーキをかけてしまうことになる。 もともと回転には弱
みさわ、という喫茶店があった。もうずいぶん昔に営業するのをやめた店で、看板のいたるところが剥がれ落ちている。窓から中をのぞいてみると、竜巻が通過したみたいに物が散乱し、テーブルも致命的なひっくり返り方をしていた。店を閉じたというよりは、滅び
ふとした拍子にデジタル時計へ目をやると、そのときの時刻がちょうどゾロ目になっていることがある。11:11とか5:55、はたまた0:00というのもそれに当たるかもしれない。とにかくぼくは、そういった時刻をよく見かける。多い時には日に何度も目に
あるとき知人は、ぶんぶん飛んでいた小虫をうっとうしく思い、これを隅へおいつめて、素手でぺちゃんこにつぶした。そのあと手を洗っていると電話のベルがなり、たった今おばあちゃんが亡くなった、という知らせを受けた。まるで小虫とおばあちゃんの間に、な