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日記一覧

松浦光修「南州翁遺訓」(PHP)より。ジャーナリストの高山正之さんはこう言っています。「(今の日本には)権利固守に凝り固まった役人が中央と地方を合わせて550万人。これにOBや家族を加えると1000万人を超える。つまり“国民の10人に1人は、税金で食

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薩摩に帰っていた西郷さんが、ある日、近くの畑で一日中汗にまみれて働き、夕方、馬を曳きながら家に帰る途中のこと、突然、ものかげから一人の少年武士が現れ、「おい、老爺(おやじ)! これを修繕してくれ」と鼻緒の切れた下駄を差し出した。身分制度のき

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次の詩は西郷隆盛が妹の長男・市来政道がアメリカに留学したとき書いて渡したもので、人生の何たるかを教え、諭し、西郷自身の処世観を披歴したものであると言われています。本当に立派な人物は、貧しい環境の中からこそ生れる。偉大な業績も沢山の困難を経て

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明治維新は、日本史上、、かつてないほど多彩なドラマに満ちていますが、その壮大なドラマのクライマックスというべきものは、たはり慶応3年(1867)12月9日の「王政復興の大号令」の発布でしょう。もし、それがなかったら、明治維新は失敗に終わり、日本は収

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坂本龍馬といえば慶応2年(1866)1月、京都で薩摩藩の西郷と長州藩の桂小五郎(木戸孝允)との会談を仲介、薩長同盟を実現させた男である。西郷が龍馬に初めて会ったのは元治元年(1864)8月のことだ。西郷38歳、龍馬30歳。。龍馬はその時の印象を、友人に「

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以下維新研究会「維新最高の業賞を受けた西郷隆盛」と題して次のように述べています。戊辰戦争の論功行賞は函館戦争が終わったあと明治2年(1869)6月2日に行われた。このとき西郷43歳。薩摩の西郷隆盛と大久保利通、長州の木戸孝允(桂小五郎)を「維新の三傑

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明治維新を語る時、欠かせないのが西郷隆盛さんです。「敬天愛人」。西郷隆盛さんが座右の銘としていた言葉です。私は西郷さんの大ファンです。この西郷さんについて次のようなエピソードがあります。幕末明治の日本を訪れた各国の外交官のなかでも、イギリス

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西郷隆盛「敬天愛人」
2018年02月18日10:44

以下、神渡良平「西郷隆盛人間学」(致知出版)を要約します。南州翁遺訓より。【原文】道は天地自然の道なる故、講学の道は敬天愛人を目的とし、身を修する克己をもって終始せよ。己に勝つ極功は「意なし、必なし、固なし、我なし」と云えり。総じて克つの極

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神渡良平「西郷隆盛人間学」(致知出版)より。【原文】一貫す唯々(いい)の諾(だく) 従来鉄石の肝(かん) 貧居(ひんきょ)傑士(けっし)を生じ 勲業は多難に顕わる 雪に耐えて梅花(ばいか)麗しく 霜を経て楓葉(ふうよう)丹(あか)し もし能く天意

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西郷隆盛の言葉はその薫陶を受けた庄内藩の有志たちの手によって「南洲翁遺訓」にまとめられています。<西郷隆盛の言葉>道を行うものは、天下こぞって謗(そし)るも足らざるとせず、天下こぞって誉むるも足れりとせざるは、自ら信ずるの厚きなり。<大意>

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