次は鬼ヶ城へ向かいました。先ずは登山口がある観音寺へhttps://goo.gl/maps/hbukN8bdE9G2 鬼ヶ城は「丹波の赤鬼」と呼ばれ、明智光秀を苦境に追込んだ事もある赤井直正の築城と云われますが、規模・構造をみると砦のような縄張りなので地元豪族の城ではない
先輩が京都府北部にドライブに行くと言うので便乗させてもらいました先ずはリクエストで福知山城へhttps://goo.gl/maps/bj5uxCZyESD2 鉄道唱歌山陰線8番 道を返して福知山工兵隊も見てゆかん 昔語りの大江山
南海に乗る機会は少ないので写真を撮っときますhttps://goo.gl/maps/Fwximb4MvqL2 難波と和歌山・関西空港・高野山などを結ぶ鉄道を経営する大手私鉄。総営業キロは154.0kmです JR和歌山駅とは離れた所にあり、JR紀勢線が乗り入れています。こ
剣心さんとお別れ道中楽しい歴史談義が出来ました。南海電鉄和歌山市駅と和歌山港駅を結ぶ2.8kmの路線です 和歌山港からは和歌山〜徳島を結ぶ南海フェリーが出ています。その為に存在しているようなもので2・3時間に1・2本しかありません(笑)
覚鑁上人御廟所(奥之院)https://goo.gl/maps/Znc5yzkQw6z根来寺の開祖覚鑁上人の御廟所です 弘法大師空海がご入定から260年後の嘉保2年6月17日(1095年7月21日)肥前国藤津荘(佐賀県鹿島市)で生まれ、13歳の時京都仁和寺に赴き、16歳で出家得度を
入山料500円を支払境内へhttps://goo.gl/maps/V9m3u1DWCit平安時代後期の高野山の僧で空海以来の学僧といわれた覚鑁上人が大治5年(1130年)に高野山内に一堂を建て、伝法院と称したことに始まる。覚鑁上人は鳥羽上皇の院宣を得て高野山に大伝法院と密厳院を
続いて根来寺へ本堂に行く前に不動堂へ寄りましたhttps://goo.gl/maps/osh8HNWg4RG2【御本尊】不動明王興教大師覚鑁が難に遭われた時に身代わりとなって守られたという由来から身代わり(錐揉)不動とも呼ばれています。不動堂は江戸時代の建立であるが、平面
正式名称は紀三井山金剛宝寺護国院(きみいさん こんごうほうじ ごこくいん)で西国三十三所第2番札所でもありますhttps://goo.gl/maps/Q7tbPDVSFBF2 【宗派】救世観音宗総本山【御本尊】十一面観音参道【御由緒】宝亀元年(770)唐僧・為光上人によって
ここでマイミクの剣心さんと合流、戦国武将関連の寺社巡りに行きました紀州東照宮https://goo.gl/maps/UcBVnqZfASp 【御祭神】徳川家康公・徳川頼宜公(紀州藩初代藩主・徳川家康10男) 【御由緒】元和5年紀州初代藩主として入国した徳川頼宣により、
和歌山の史跡に行くバスが来るまで時間があったので鉄分投入https://goo.gl/maps/TUxBsgthDXG2特急くろしお 最近はパンダラッピング車両もありますね 和歌山線105系 ローカル線ではまだ頑張ってます紀勢線117系 今や貴重な車両ですね
帰り際キジトラ白の子猫がいたので近付くと少し前にいた人懐っこいグレー猫が威嚇しはじめました 親猫?らしき猫が出てきました あいさつ お互い威嚇してます間に人が入ると喧嘩は収まりましたが、野良の世界は厳しいですね・・・
https://goo.gl/maps/4Ko5Gv3k53E2 閑院宮家は伏見宮家、桂宮家、有栖川宮家と並ぶ四親王家の一つで、1710年に東山天皇の皇子直仁親王を始祖として創立され、公家町南西部のこの場所に屋敷を構えました。創建当初の建物は天明の大火(1788年)で焼失
ブラブラしてると猫を見かけるときがあります声をかけて見ると凄く人懐っこい猫でニャーニャ―言いながら寄ってきましたスリスリしてきます触っても逃げないのでモフらせて貰いました
宗像神社 https://goo.gl/maps/uJTAwS1NgHM2[御祭神]多紀理比売命·多岐津比売命·市岐嶋比売命 [御由緒]国史見在社ー国史見在社とは六国史(『日本書紀』『続日本紀』『日本後紀』『続日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代実録』)に記載がある
https://goo.gl/maps/mpyszxGHyML2 【御祭神】 田心比売(たごりひめ)命・湍津比売(たぎつひめ)命・市杵島姫比売(いちきしまひめ)命【御由緒】 安芸国厳島社を崇敬した平清盛が、摂津国兵庫津に築島(経が島)を造成した際に、同島に社殿を構えて厳島
白雲神社https://goo.gl/maps/ZtYAjsXWrUB2 旧西園寺家の鎮守社。祭神は妙音弁財天と称する市杵島姫命で、西園寺家が琵琶の宗家であることから音楽の神様として祀られていたようです当初は妙音堂と云われていたが、明治になって西園寺家が東京に移り
京都御所には皇族や貴族の邸跡が多数あります 桂宮邸跡https://goo.gl/maps/zbdX56DiQrk 桂宮(かつらのみや)家は桂離宮を造営した八条宮智仁親王(はちじょうのみやとしひとしんのう)に始まる宮家、智仁親王は秀吉の猶子となっていたこともあります
鉄道唱歌東海道編47番 ここは桓武の帝より 千有余年の都の地 今も雲井の空たかく あおぐ清涼紫宸殿今まで春秋の数日しか一般公開していなかった(それ以外は事前申し込みが必要)だった京都御所が、平成28年7月26日から通年公開となったので散歩ついで
この日は暑かったので、ぐでーとしてる猫が多かったです(笑)無防備すぎる歌舞伎の見得みたいな顔(笑)兄弟でしょうか?顔がめり込んでます草むらにも隠れています二匹でグルーミングこの三毛猫は物怖じせず人の横をすり抜けて行きま
哲学の道を散歩してると野良猫さんに会えます猫さん発見!木の幹に溜まった水を飲んでいるようですこの辺りの猫は人懐っこいので触らせてくれる子も多いです触ってたらお休みになってました
のんびり順番に更新しているので季節外れな日記になって申し訳ないです ここ2年くらいこの時期は海外に行かされていたので久しぶりの祇園祭りですこの日は天気も良かったので鉾が巡行前から人がひしめき合ってました八坂神社(祇園社)の祭礼
電車の時間が迫っていたので駆け足で参拝しましたhttps://goo.gl/maps/YNiScpKKAV72 【御祭神】応神天皇・比売神・応神天皇 【御由緒】康平6年(1063)源頼義が奥州を平定して鎌倉に帰り、源氏の氏神として出陣に際してご加護を祈願した京都の石清水八幡宮
https://goo.gl/maps/pZPkTp9eEQK2頼朝公の墓所から狭い山道を通ると大江広元公(政所初代別当)・島津忠久公(頼朝公の命により薩摩・大隅・日向国の守護となる)の墓があります大江広元公の墓は江戸時代に長州藩によって作られたもので(毛利氏は広元の四男
白旗神社 https://goo.gl/maps/NVRsJ2c9Uo22ここには源頼朝公館の北隅、持仏堂があった場所で頼朝公が石橋山合戦の際、髷の中に納めて戦ったという観音堂が安置されていた。頼朝公が亡くなるとここに葬られ法華堂と呼ばれ命日には歴代将軍が参拝されていま
今回の目的地(南朝方の史跡巡り)は全て周ったので、あとは電車の時間まで見られそうな所を巡りました https://goo.gl/maps/gnXJT942pH22 【御祭神】菅原道真公 福岡の太宰府天満宮、京都の北野天満宮と共に三天神社と呼ばれています。 【御由緒】長
理智光寺跡石碑の裏山にありますhttps://goo.gl/maps/ykcjqz4e1sG2 苔むした石段は滑りやすいので注意が必要です。 スズメバチ注意の看板がありました。幸い遭遇しなかったですが行かれる方は注意してください 管理不足なのか草も伸び放題になってま
https://goo.gl/maps/WoYUganUY2C2創建は不明だが願行上人によって開山された寺院。1335年に淵辺義博は足利直義の命令で、護良親王を殺害しましたが、その死に顔の凄まじさにに怖れ、 首をかたわらの藪に捨てました。それを当時の僧侶が哀れみ、山の上に埋葬
源頼朝公は文治5年(1189年)9月の奥州合戦を契機に、源義経・藤原泰衡をはじめとする数万の怨霊をしずめ、冥福を祈るための寺院の建立を発願。その年の12月には永福寺の建立に着手し、1192年本堂が完成したhttps://goo.gl/maps/9n9NdumLAHF2 以前通った時
御先祖様が祀られている村上社へ参拝村上義光公は潜伏していた南都の般若寺から熊野へ逃れる大塔宮護良親王に供奉(ぐぶ)した9名の1人で、吉野から親王を逃がすため親王の鎧を着て身代わりとなり切腹して果てました。 平成16年の台風で倒れた境内のケヤキを