「 とても忙しくて防災減災どころではない 」「 今やっていることが一段落したら災害対策をしよう 」 普段の生活が忙しく時間に追われていると「 防災減災を進めたくても 時間が無くて難しい 」と命を守るための重要な災害対策の部分が 後回しにされ
ぼぶさっぷさおんぱったおんぱさおんぱって おんぱらいだおんぱもおもでべげっとおぶってるぼぶさっぷもおもでべおんぼぶさっぷさおんぱったおんぱさおんぱったおらの話 (フィクションです) By 2号〜〜ったどごで〜〜おら〜腹いっぺである〜〜
都市部の暮らしは大変便利です地下鉄は数分おきに出ていますし様々な物が流通していますお金さえあれば 必要なものがすぐにそろいます その一方 地方の田舎での暮らしは 電車さえない地域もありますし流通物の種類も豊富ではありませんお金があっても 必
震災瓦礫が生活圏から片づけられ目立った町の中は通常通りに機能しています その一方 私の故郷のように小さな海辺の町はマスコミの取材に取り上げられる事も少なく「 復興が進む被災地 」として十把一絡げで全国に報道されています 復興という名のも
各地で 震災の体験談をさせて頂くと メディアを通じてごらんになっていた震災の様子とあまりにも違いを感じるという方が多く 「 想像していた以上で辛すぎる 」「 大変恐ろしく言葉が出ない 」 「 佐藤さんのお話しで心が震えた 」 という感想を頂
語り部をしていると 震災を語ること以外のご依頼を頂くことがあります 昨年中の話ですが全国放送のバラエティー番組から出演を依頼されました バラエティー番組と言えども全国放送の番組ですから その影響力は絶大です 私は 普段 災害に関心のない方に
私達が避難して暮らす間 帰るたびに じわりじわりと変わってしまう ふるさと 知らない人が見たら きれいになったね 良かったね というでしょう でも 復興という名の土埃をあびる私達は まるで浦島太郎のようです 拙い文章ですが 皆様
今日は 雄勝に行って来ました娘の就職祝いと 息子の進学祝いのつもりで御馳走を食べに行こうと思ったのです まずはお墓に行き お友達のぼんちゃんと戯れ 伝八寿司さんで 超美味しい鉄火丼をお願いしたところやはり人気のお店ですから 売り切れでござい
私がお伝えできるのは東日本大震災で自分が経験したことと実際に身の回りで起きたことそして 震災後の生活で日々感じていることです この様に震災の記事を書いていると「 死 」というもの事態に興味を抱いて被災地で家族を亡くしてしまった人の様子から「
以前 何気なくつけていたテレビで災害の特集番組を放送していた時の話です ずっと昔から災害が繰り返されて...その度に 防災減災が騒がれるのに何で 災害があるたびに同じことが繰り返されるんだろう何で 安全に避難することが難しいんだろう そのよ
ある日突然大切な人を亡くすことは「 痛み 」なのです 心も体も痛むのです例え血が出ていなくても骨が折れていなくても痛むのです 痛み止めの薬などいくら飲んでも効きません体をさすっても 自分の輪郭さえ感じません つらい 悲しい 苦しい 涙が出
自然災害は誰のせいでしょうか何のせいなのでしょうかどうして 大勢の人が亡くなったのでしょうかある人はこういいます「 それは浄化といって 罪や穢れを清めるものだ 」「 自然災害は 地球の浄化作用だ 」 では 東日本大震災で亡くなってしまったた
( 語り部のページからの転記です ) 自然の中にある私達の命はいつでもここにあって人それぞれに 様々な人生を歩んでいます 歩くスピードは違ってもたどる道のりは違っても同じ空の下で 同じ時間が過ぎていきます どんなにつらい目にあってもどん
母が見つからず何度も何度も遺体安置所へ通ううちに言葉にできない孤独感を知りました 周りに誰もいないから 孤独なのではないのです話せる相手がいないから孤独なのではないのです心許せる人がいないから孤独なのではないのです 安置所の駐車場に着き
故郷〜〜家を建てられない地域ですがもう一度、、、、、建てようとは思いません!!!家の3号生まれる数年前に建てまして、ローンも何とか終わりまして、、、これからだと思ったら〜〜〜〜〜震災がきやがった〜〜〜何にもないとこに〜〜本当になんにもなくな
「 黙とうの合図が鳴らされる前に 」 遺体の取り違えで既にお骨になった母が私の元に戻ってきたのは母が亡くなった日から一か月たった 4月12日でした 借り上げ住宅(みなし仮設)では仏壇も何も用意できる状態ではなく小さなテーブルに布を敷きやっと手
私達のように 震災を語り継ぐ人間は眠れない夜には 伝えるための言葉を探し多くの人たちに伝わりやすくなるようにと心の中の思いを 言葉として紡いでいくのです その言葉を 時にオブラートで包み時には ナイフを研ぐようにして深く深く 考えに考えて
「 震災に負けるな! 」「 津波に負けるな! 」「 私達は東日本大震災に負けるわけがない 」「 頑張れ東北! 」 いいえ私達は 東日本大震災に負けたのです津波に負けたのです完膚なきまでに叩きのめされて人生が変わってしまったのです とても後
この時期は確定申告の時期でもあり先程 昨年の書類を取り出そうとしたら震災時のメモが出てきました 皆さんも非常持ち出し袋を用意されるときに水や食料 身の回りの必要最低限のものを備えていることと思います その中でも 実際に必要な物なのに見落とし
3月11日そして12日 私はいつも通りに過ごします 震災後の私は 毎日が3月11日 そして12日なのです 3月11日に亡くなった祖母と 病院にいる祖母のもとに走って行き 津波で翌日12日に亡くなった母と ずっと一緒にいるのです 3月11日 そして12日 それは
昨日は〜〜久しぶりの雄勝町〜〜2号の語り部でありましたがお友達も来てくれました帰る前にみんなで、鉄火丼〜〜〜その次は〜〜〜おっきな、パへ〜〜〜みんなありがと〜〜〜 いちご〜〜
第5回 被災地ウォーク㏌おがつにご参加くださった皆様今日は本当に有難うございました 雄勝弁の聞き取りづらい語り部ですみません理路整然としていない語り部ですみません私は雄勝で生まれ育った人間です雄勝の言葉で話をさせて頂いてふるさとの言葉
6年前 世界中の多くの人々が東日本大震災で引き起こされた津波の映像をご覧になったことでしょう その津波の光景は皆さんの目にどのように映ったのでしょうか ほら!そっちじゃなくて別な方に逃げなくちゃ危ない!お願いだからはやく逃げてどうしてそっち
いよいよ今週 3月5日 日曜日開催です 私達のふるさと 雄勝町にいらっしゃいませんか?震災前の雄勝町は本当に美しい町で本来であればその姿をご覧いただきたかったのですがその願いはもう叶いません震災後の今 皆さんにできるおもてなしは6年前の3月11日