人の心はきっと複雑。ジグソーのようにうまくはまらない。絵になるように努力はしても、最後のワンピースがなかったり・・・。でもね、完成できなくて投げた未来も、小さなきっかけで、美しい絵になる日が来る。だから捨てないで、たまに眺めるだけでもいい、
蹴っ飛ばした小石が、自分にぶつかるように、踏んだり蹴ったりなんて、愚痴しかない時にはいつもある。調子に乗ってつまずくたんびに、自分が小さくなっていく。多少のいざこざなんて恐れないで、やりたいことがあるなら、恐れないで行こう。ばんそうこうだら
近くにいても遠かったもんね。理想の恋人とか。あるわけもないけど、あなたのありえないようなその振る舞いが好きだった。変わり者だって知っていても、黙って一緒にいたかった人。時間は過ぎてもよみがえるのは、青春の悪夢なんかじゃなくて、生きた季節を愛
過ぎゆきて、忘れたころの切なさを、思いて春に、君の訃報を聞く。触れ合えたひびの、葛藤と愛情のすべて。もしもはないのは知っていてるけど、もしも今でも一緒だったら、君をすくえたのかな。僕がわがままだったのか、僕がもっと大きな愛であればいかったの
執着とかいうけど、理由なく分かれた人に、愛は今も届いてているだろうか。愛していた気持ちを今は届け切らずに、今一人、たたずんで君の幸福を祈る僕が、本当の愛の姿。結婚もした、子供もできた、普通の家庭ぐらい、僕でも持てたよ。愛している気持ちが、最
迷わずに祈れ。だれにたおられることなく、美しくあれ、花の命は、咲き誇るときにあるのではなく、その輝きを残すことにある。秋も来るだろう、冬も来るだろう。でもその残り香ぐらいは、この心に残しておくれ。季節は過ぎゆきても心に残るあなたの美しさよ。
都合がいいこと、言いくるめたくなること。よくケンカすること。人より上であれるなら人を貶めること、競争そのものが、男性の使命なら、責任感も男性の使命である。生命尽くして守りたいものがあるなら、使命に徹するのも男の矜持。
いつくしむというこころが、何時から失われたのだろう。人は信用できないというが、草花の営みぐらいなら、信じることができるだろうか、彼らは芽吹く日を偽らない、彼らは花咲くときを偽らない、彼らは実りの時も偽らない。人である以上に、人としての嘘のな
自分が描いたドラマに、相手が合わせてくれることなんてない。相手に合わせなくても、幸福であれるなんて言うなら、最初から一つだったんだ。
ずーっと眠り続けたい気持ちも、今が春じゃないって思う気持ちも、芽吹く季節が来たことも知るよすが、秋が来たことも、冬が来たことも、何一つ未来のないと思った季節があったとしても、降り注ぐ陽の光と、包んでくれる大地のぬくもりに、少しだけ心許して、
神様を信じて努力するものと、何も考えずに生きている人、幸運な人というのは存在するけれど、ラッキーにも違いがある。はっきりした違いがあるとするなら、神様の力を信じているかどうか。普段お世話になっている人への感謝と、その人たちの幸福を思いやる心
特定の個人の野心そのものに、この星に生きる人たちの、恒久的な自由性と平和に生きる権利が、侵されることは許せない。人は生まれながらにして、いたるところ鉄鎖の下にあるとは、よく言ったものだ、最低限のルールがある世界が、それにあたるなら、張り巡ら
感じることさえも、コントロールされるなら、それが人間であり得ようか。合理的な判断をするために、井戸端会議の口裏合わせ。なんでこうなったかを考える日が来る前に、最大の審判は降りるだろう。誰も怒鳴り散らしはしないが、ある日突然、刑は執行される。
教えてくれる人がいるから、それをたやすく受け入れて、さもわかったように感じる。でも、本当にわかっていたかどうかは、歴史の波にさらわれるまでわからない。磨かれているのか、流されているのかわからない。酔生夢死とはこのことを言うんだろう。それが理
若草の香りに包まれて、寝転がった素朴な子供時代を、思い出している、親の背中なんて見ていなかった、ただ、そら行く雲に想いを馳せ、春先の雪解け水の行方をつなぐのが、僕の楽しみだった。もともと夢想家そういわれればそうかもしれない。唯一つだけ違って
百人いれば、百人の夢がある。おおよその夢を集めていけば、最大多数の幸福は見えるだろう。もしも万人が思うその幸福が、次の不幸につながっているとしたら、たった一人の意見でも、その意見についていくものが生き残る。調和だけを求めるなら、妥協すればい
眼には見えなくても、神様に愛されているときには、心に光を感じる。ときにやさしく、時に力強く、時に穏やかに、時に激しく。神様に生かされていることを、人一倍感じる人生。でも降り注ぐ愛に無限の変化のあることを感じる。学ばされているんだね。神様にも
過去の不幸の種があったからこその、今の幸福だったり、過去の栄光があったからこその、慢心からの転落だったり。時間がすぎてみれば、すべてはあざなえる縄の上を歩むがごとし。次の10年にいったい何が起きるかを、簡単に予測するなら、今幸福だと思うことが
幸福は、素直に信じる心にある。そして、信じる心に感性もついていく。何を信じていたかは、後の世の人が考えること。書けるなら、越えてみたらいい、越えられたなら、君が文学の神になれるから。
この苦しみが真実ならば、何度朝を迎えることが苦痛だろう。夢の中に、すべては消え去ればいいのに。独りよがりの夢は、永遠に木魂する。
調和そのものが、どんな意味を持つのかも、どういう未来を導くかも知らない。荒れた世界に、もしもそれを言うなら、誰も相手にはしてくれない。ゆえに、神は考えて、音楽という道を残した。
感じるまでに、幾億年の歳月、最初は光しかない。その光の中にすべての意志と、すべての未来はゆだねられた。何度も揺らぐ、パラレルな歴史の中で、一つだけ、美しい姿が現れる。誰しもが最初から最善がないように、生み出された宇宙に、最善の未来かあるかど
一人投げ出され、一人生きて、私は何を着飾りましょう。あなたへの愛だけ着飾れば、私の命の意味はありましょうか。何が美しいかを考えながら、幾転生。私は何に気づいたのでしょう。私の人生の彩を、どうしましょう・・・・。「夢単衣」生き生きて人に教える
お布施というと、むずかしくなるから、あえて寄付と呼ぶ、それはぜんいであり、頑張ってほしい気持ちを託すもの。一方、布施といえば、功徳が伴うという。どんな功徳であろうか。僕自身が感じるものは別として、布施には功徳は伴うと思う。差し出す力が、幸福
人の心に残る言葉。一世を風靡して、人の感興を揺さぶる言葉、誰しもみな熱狂する者は、長く残らない。暖かい心が、人類のマイナスの心を導いていく。基本は、愛する心であり、触れ合う人たちの幸福を願う心。
特別な感覚や、特別な秘儀があって、幸運な未来を引き寄せるとは限らない。人を説得するだけの実績というものは、人生そのもので証明するに限る。ただいまの人たちを説得できずとも、やがて人は理解するようになる。偉人、とまでいかなくとも、後の世に影響を
恵まれている人、幸運な人、うらやましい人。みかけたら、そのひとのいいところだけ探してみよう。なぜその人が、幸運なのか学んでみよう。その人は悲観的でしたか?その人は、人を恨んだら復讐する人でしたか?その人は、人を徹底して攻撃する人でしたか?その