照らす力が、人をはぐくみ、照らす力が活力を生みだし、照らす力が、この世の腐敗を駆逐する。腐ったものは捨てることをためらわないことが、新しい未来を拓く。理想が立たなければ、ただの毒沼にしかならない。都合のいい、権力欲はいいとして、人を愛する心
幸福をどこに感じるかと、考え悩む、今がいくともとも未来は悩みになることも、今が苦しくとも未来は善き恵みに満たされることと、どちらも運命としてはある。最善を尽くすということは、難しいこと、ただ過ぎてきた人生の経験すべてが、自分の力になる、負け
何気なく普段受け入れている運命も、必ず、自分の心に理由があったりする。今の時代に心を見つめるなんて言っても、スマホのほうが見つめているほうが多いよって、笑われそうだけど。ちょこっとだけ時間があるなら見つめてみよう。いつも不満に満ちている心が
ばかだから、わからない。それを罪だと思わないからあえてやる。自由の解釈も人それぞれである、嘘に騙されたものが悪いのか、嘘をついたものが悪いのか、だましたものが悪いのか、だまされたものが悪いのか、誠実という言葉は、最後に相手思いやる態度にあら
悩みの大半は、この世でいかに生きるかということになっている。未来の不安。幸福になりたいのに道筋の見えないこと。もうひとつは、生命の意欲の満たされないこと、食欲、性欲、睡眠欲、名声欲。満たされないことに不満もあるだろうけど、満たされないことで
天なる父を感じることができるなら、その人がいかほどに慈愛に満ち、寛容さと厳しさを持ち合わせて人類を導いたかを、知ることはできる。大半の人は、推測と想像の中に天なる父を感じる。本当の信仰があったなら、あり得ないことが常に続いて、神の理想は達成
感謝されなくとも、汗を流す。陽の巡りに振り回されず、汗を流す。支えている仕事が、かりに人目に触れないものであっても、聖業なんだと、自分に言い聞かせてみる。どんな文明も、どんな繁栄も、農業なくして実現はできない。食が足りるから、新しい未来を描
つまずいてるつもりはなくても、どこかで利益と引き換えにして信じる気持ちがあるなら、それが信仰と呼べるだろうか。たった1パーセントでも、素直になれない自分がいるなら、それを信仰とは言わない。洗脳だっていう人はいるけれど、納得できないで受け入れ
赤ちゃんが笑うのは、素直に親の愛に抱かれることに安心感を感じているから。もしも神様がいて、親のような愛で見守っていてくださるなら、疑う理由なんて、何一つない。何があってもすべてを信じて笑顔で返せる自分。愛すれば愛するほどに、信じれば信じるほ
流行を創る側だっりすると、みんな思うけど、ただいいものを発見してくるのが上手なだけ。いいものと駄目なものを選別できる美的感覚や、嗅覚は大切。世界に埋もれている宝物に大舞台への道を、導けるなら、こんな幸せなことはない。
めぐる転生も、めぐる出会いも、なにひとつとしてむだはなくて、偶然に見えても必然だったっていうことを、来世に知ることになる。
悟れば悟るほどに謙虚になって、その身に迫る現実の中に神々の慈悲をすくいとる。悟り一つが、未来への疑問を取り去ること。悟り一つが過去のしがらみを流し去ること。経験してみなくてはいけない。悟りへの道が幸福への道であることを。
もしも素直に信じる気持ちがあって、すべてはよくなっていくと信じたとしても、ある日突然の悲劇に、どれだけのショックを受けただろう。すべての人を幸福にするという、目的を信じて生きていた僕にとって、青年時代は過酷だった。年を取って、人の親になり、
きちんと事実確認ぐらいしよう。何が違っているのかも確認しよう、不幸な現実が起きてくるなら起きてくるなりの、プロセスはあったはず、もちろんその経験がないとわからないがゆえに引き寄せているともいえるけど。自分が悪いと一方的に思うことが多くなった
運命の挑戦に勝てるかどうかが、今課せられた課題。何度もやり直しているとしたら、今がターニングポイント。時代が独裁者に彩られているように見えて、幸福な未来をあまり創造する人はいないが、あえて言うなら、独裁者が出てこなければ、その政治体制が崩壊
私たちが最初に出会う、美しい銀河の姿。勇壮であり、滞ることのない秩序のある姿。もともとは、この銀河が、二つであったことを知る人は少ない。二つが一つとなりその姿を現している。同時に、進化の系統を異にする、二つの文明が一つになった姿を象徴してい
ホーキング博士が帰天された。彼が最後に残した数式は、パラレルワールドに関するものだったらしい。今、わたくしたちが生きている宇宙とは、別な宇宙が、同時複数的にできたとするなら、その痕跡が、宇宙にあるはずだと彼は言っている。数式上ではあるけれど
そういえば見たことある、そういえば感じたことがある、前に一度見た気がする。デジャブの経験はおそらく多くの人が、経験している。その正体を解き明かした人はいないが、おそらくは、パラレルな歴史の流れと、呼応していると思われる。歴史の流れというより
夢を見れないことがその理由。今の気持ちにとどまることがその理由。人生に奇跡も希望も訪れることがあると、信じることができないことが根本的な理由。
太平洋戦争の敗北は確かに、日本民族にとって大きな痛手ではあったものの、その後の荒廃から、植民地主義的な手法以外で、繁栄できたことは、奇跡だろうと思う。後の世の人は東洋の奇跡とよぶことが、実は起きていたことになる。戦わずして精進と努力によって
朝起きて、そのひやるべきことをやり、平穏な夜を迎える、妻とたわいのない会話をして、つかの間の家庭の幸福を楽しむ、ただそれだけでも幸福なのに、いったい何を求めるのだろう。ただ、もう少しだけ、夢の続きも考えておきたかったりする。幸福の正体がわか
事実は小説より奇なり。嘘をつき続けて、成功する者はいない。人のことは言えないけれども、保身というものはみぐるさいものだ。人の上に立てばたつほど、責任を痛感して、その在り方を戒めなくては、後の世の歴史も含めて、居場所さえなくなる。聖人になれと
潜在意識まで、きちんとできる人に、説法するとか、馬鹿にしかできない。怖さは、平素な生活の中にある、見下したらそれから人の実力は追うことができない。自分のことよりも、人の中に宝物を見出す人が、最後に勝つ人だろう。
始まったドラマは、本人の自覚もないままに進んでいる。チャンスそのものが自分にあることも知らない。「いましかない」よくいわれるけれど、その時間があまりにも少なくて・・・。たどり着けないことが真実なら。最初から夢見る心なんてなければいいのに。
罪ではなく、そのつながりが宇宙を支えていると知って、偉大なる共生の世界を知る。何一つ無駄な存在などないとわかる日が来たら、感動と、信仰に無駄がないことを知る。すべての存在は生かされている。愛と慈悲がすべてをつないでいることを知って、無知のう
自分を許せない気持ちが、黙って、自分を責め続ける。罪の意識とは言うけれど、悪いことをしたっていう自覚は意外に素直に感じるもの。ごまかして生きることが幸福なのか、素直に謝る心の一つもあるのが幸福なのか、それが天国と地獄を分けている。
星が、透き通って見えるっていいよね。嵐は嫌だけど、澄み切って星の光を見つめられるのはいいよね。涙はないけど、少しだけはっきりした、振り返ったって仕方ないこと。ずーっとこうやって見守ってくれているんだもんね。少しだけ勇気もらえた、明日も頑張ら
特定のこだわりを持たないこと、素直な心を維持すること、どんなことにも成長していくためのヒントが隠されていると信じること。喜怒哀楽のどの感情が起きても、その中に学びがあると信じること。心を動かしているすべての経験が、神様からのプレゼントだと信