後悔は永遠に残るけど、反省は次の未来に続いてく、全てが終わったとか、考えてるんだったら、リベンジぐらいしたらいい、失望そのものが、魂の活力を無限に奪うことを知って、誘う毒牙に負けないだけの強さを持てばいい。
泣く者のいないこと、ふさぎこむことのひとがいないこと、何度も夢を思いて生ききれること、失望がなく、誰もが希望を描ける時代を創ることが、ユートピアの原点だったとは思う。人が人を思う心が幸福を呼び、幸福のわだちを創りながら、人を導く世界、それが
心の底から成功したいかい?心底から多くの人が喜ぶ姿を見たいかい?不幸の感覚って、いったい誰が教えたんだろう、それがなければすみわけできたのに。心ひとつが、宇宙の一部なんて、誰も思わない。競争のために劣等感があることは、意味はあるけど、勝つこと
素敵なお嫁さんになりたくて、花の編み方を覚えましたの。素敵なおかあさんになりたくて、色々教えてあげたの、もう、忘れたのかな、女の子であるって、幸福なことなのにね。
何事もなく、平和な時間か過ぎていくことが、一番の理想なんだけど、水面に立つさざ波のように、一瞬の存在感は、「時を止めない」魔法があるなら、永遠の勲章にでもできるんだろうけど、過ぎた日々を人は心に残さない。一つ一つの記憶が美しいんだけれどね。
被害妄想だといわれればやっぱりつらいし、それでも、自分を追い込む気持ちは変わらなくて、なんで生まれ変わってきたんだろうと、人生を呪ったりもする。子供であるのはわかるし、何より一つも傷つきたくない心は私の未来を創っている、傷つきたくないの。
生きていくための源泉は、自分自身を許せるという、その前提がある。許せない自分は、存在そのものがいらないのだから、黙って自滅の人生に落ちていく。純粋すぎる心が、ときに、醜くも見える日が来る、あがいた記憶を懐かしんで大人を気取るより、素直な気持
自分が生ききって、神様に祝福されたなら、その個性と考え方が、永遠のものに思う。戦乱の時代には英雄を、平和な時には芸術家を、悩み多き時代には哲学者を、進めたい未来があるなら科学者を。最後に宗教家を選ぶ勇気があるなら、君は、万能の天才だろう。全
汗を流さないことに値打ちはなく、人に感謝されない生き方も値打ちを生むことはない。富の本質は、愛と感謝の循環。人を思って行動することが、相手の幸福を呼ぶからこそ、無限に増えていく、なんの値打ちもないのに、値打ちのない投資話にご注意。
愛に見返りを求めるなと神様は言う。積み上げていく人生の中に、小さなさざ波とか、理不尽ないさかいとか、心のない侮辱とか、それはいつの時代にも尽きることはない。神様は許せという。きづついた心さえ癒えないのに、ただ、許せという。どうしても許せない
誰しもが人生の秘密は解き明かしたい。明日の日がどうとか、10年後がどうとか。もしも、自分にとって、今の人生が、壮大なチャレンジだとしたら、ある意味逃げたくなるのか、それともやり遂げようと思うのか、時間が過ぎれば、少しづつ自分の人生の意味も、紐
ただ一筋に人を治るは、その心にあり、その心乱れるなら世は乱れ、その心収まりて未来を思う時に、繁栄はかしづく、柱が柱として自覚しないなら、成り立つ未来もないだろう、だれも責任を持たない繁栄など、ありうることはない。
過ぎてみれば、その時だけなのにね、でもいくつになっても忘れない、それが記憶のひとかけらであっても、刻まれるような奇跡の出会いであったんだから。
誰もが、日々を楽しくて明るい日にしたい。人生に影などなくて、自分の心に影などないように、日々をふるまい、日々に抜け出そうとする。でもね、いつまでも嘘をつき続けて幸福なんて言うのは、きっとない、悲しいなら、素直に向き合って、一緒に成長していこ
誓いは誓いとして、無限の愛の未来を夢見るけれど、人をして愛おしいと思える人の心など、無限にある。全てが愛おしく見えている人には、全てが愛の対象なんだ。この世でこの身一つの心であっても、全ての人に届くような愛の心を。
生きる権利も、感じる権利も、夢見る権利もある。しがらみがあることは知ってはいても、心が自由であることの幸福よ。僕が僕として生きれる幸福よ。
砂嵐のように、人びとの迷う心は突き刺さる。まるで砂漠の中にいるように、その嵐がやむまでは、次の道筋までの未来さえ見えない。嵐は幾度となく襲うだろう、でも光ある世界は、必ず迷妄の向こうにある。砂嵐に躓いて、永遠の悔しさを味わうより、嵐のやむこ
曲がった個性の経験が、平和をかき乱したとして、混ぜ込むことさえない世界に、新しい未来さえ見えない。嵐の後に澄んだ晴れた空がある様に、嵐一つにも意味ぐらい見ようか。虹の一つも置き土産なら、未来の夢さえ加速する。
大空の奥に無限の神秘は見える。夢中になって追い求めるのはロマンであるけれど、誰だ、夜更かしして寝坊している子は・・・。無限にみる神秘の世界の、一部が自分自身なのだと知っって、今を生きる神秘と奇跡にきづければいい。あなたが追い求める神秘の向こ
失望と敗北の味があるうちに、負けないで立ち向かう心の一つや二つ。絶望が自分を奴隷化し、無思考、無感動な自分を生み出していく、隷属は魂の敗北であることを知って、自由を勝ち取る世界に未来を見る者こそ。神の世界を築く者たちである。
悟りには階梯がある。今悟ったということも、自分が歩む悟りの一つの階段に過ぎないかもしれない。例えば、この世で生きやすく生きる知恵を悟りというなら、それを処世の術と人は呼ぶのだろう。もしも、あの世があって、生きるなら、処世のための妥協など、魂
頭で理解できるのが信仰ならば、学問こそが神に近づく道になる。心でつかむことが、信仰であるならば、嘘のない自分の心を導く偉大な存在を信じることになる。問題の本質は理解できて、答えは出せても、心が素直になれないなら、あなたはあなたを救えてはいな
人を育てるということは、無限に難しい。なぜなら、方向性に従って、本人にきずきを与え、導くことはできるけれども、本人の心の持っている小さな課題まで、把握はできない・・・。ただ方向性と、問題があるたびに丁寧に悟りに導くまで。真理そのものが愛であ
適材適所とは言うけど、現場の問題さえ考えずに、パズルでもするように、思考遊戯の人事なら、結果なんて出るわけもない。人の心はパズルではない、人の心もわからない人が人を使うから、結果が出ないことをきちんと知ったらいい。
全てのヒントはちりばめられて、進んだ分だけ神の偉大さを知る。まるで魔法のように、文明の進化は起きてくる、それは、偉大な仕掛けをきちんと導くために用意した、存在があるようにも感じる。、どこまで進んで、歴史を支配しようとも、その向こうに神がいて
人は人と競い合い、より有名になりたい、人は人と競い合い、より人に愛されたい。達成できたもののも、敗れ去ったもののも、やがて気づく日が来る。人の注目を集めることも、人の歓心をいくら集めてみても、その心は癒されないことと、一度膨らんだプライドが