10年ひと昔というのは、20世紀の言葉で、21世紀には3年ひと昔。1000年までなったら、体感で5000年くらい進みそうな感じさえある。考えても仕方ないが、歴史で経験しながら、人類が成長できるにも限度はあるような気がする。「敵」という言葉が、
愛すること、人を思うこと、届かないのが常ではあっても、とめどなく相手を思う心がかわらないこと、伝わらなくても幸福にしたいこと、それを思いやりっていうんだ。
歴史を物語として、後の世に学ぶ人には、何一つしてリアリティなどないだろう。わたくしたちが理解できる歴史の中に、いかほどの戦があって、戦場でその身を終えた人たちが、どれほどいたのだろう。詩人たちは常に紡ぎ続けた、その戦いと、勝利に至る栄光を生
英雄とはいっても、戦場で散ることも多くて、必ずしも、本人にとって名誉な人生であったかどうかはわからない。それでも、時代を創るために、戦う意思を導くために、常に前面に立って、敵の刃を迎えるだけの度量は必要だった、人の心が導かれるのは、自分を捨
自分の運を信じるしかない、ダメならだめで命尽きるまで、拾う者もなければみじめな未来も、あえて理解しながら、自由の空が無限であることを信じて、何度でも飛び立つだけ。