バスは、レモンの看板の喫茶店の角を曲がり、ゆるやかな坂道を登って行った。その、のぼりつめた先に目指すプールがあった。俺はカワタカに『今のレモンの店、行った事ある?』と聞こうとした。しかし、カワタカは通路をはさんだ席のクロザサと水泳のはなしで
タカオ先生の訓話をひとしきり聞かされた後、俺達は、ようやく、出発のはこびとなった。午前中だというのに、日差しはすっかり夏のそれになっており、そのせいで、生徒達は泳ぐまえから疲労の色を濃くしていた。会場まではバスで赴く事になっており、俺達は、
カワタカの出現で、難を逃れたような形になった俺は、クロザサにだけ『五年生はあっちらしいよそがんとこおったら叱られるよ』と言うと、カワタカの立っている方へ走って行こうとした。その時、六年生達がてんでに何か言った。それは、『男オンナ』とか『白ブ
その日は母の言ったように梅雨明けの到来が予想されそうな晴天だった。学校に行ってみると、校庭の日陰のあたりに、水泳関係の生徒たちが集合しており、お互い同士にしかわからない会話をかわしていた。今日は日曜だったので教室には入れなかったのだ。中には
修学旅行の写真。奈良か京都、そして、車中のスナップなのだが、よく見ると、記念写真であるにもかかわらず、三枚中、二枚まで、何か喰いつつ映っている俺。これじゃぁ、学年イチの肥満児にもなるわなぁ、、、と、今更ながらにうなずける証拠物件のような写真
花嫁姿の母。新婚旅行のふたり。じつは、俺は、ハネムーンベビーで、この時の旅行は、二人連れのようでいて、三人連れだったのだが、それは、誰ひとり知るよしのない事だった。そして、月満ちて、産声をあげた俺は、なりたての初々しい父に抱かれた。
翌朝は快晴だった。台所に行ってみると、『朝から暑いことじゃ。このぶんじゃと、じき、梅雨明け宣言がでそうじゃなぁ』と言いつつ、母が弁当を作っていた。その日は日曜であるせいで、給食がなかったからだ。おまけに、通常より早く登校しなければならなかっ
それから水泳大会の日まで、放課後になると毎日のように大熊先生に呼び出され、俺は、書記係のなんたるかを教えられた。泳いだ生徒のタイムを記録するだけの事なのだが、体育会系の行事にいっぺんたりともたずさわった事のない俺にとってそれは苦行以外の何者
精一杯の気持ちで切り出した俺の言葉に反して美保子叔母は、さも、かんたんそうに、『なんで行けんようになったん?』と聞いて来た。俺が『じゃから、、』と、言いかけると『もしかして、それ、洋服屋の息子と関係あるん?』と方向違いの事を言った。『ヒサモ
ひとしきり父は美保子叔母と、時候の事や、昨日のクスさんの葬儀の事などをはなしていた。すると、遅れて、祖母と母がやって来た。困惑していた俺は、祖母の顔を見上げ、次に父の方を見た。祖母が、話しをしている父に向かって『タカヒロさんよ』と小さく言い
父は『タジマに電話するんじゃ』と言った。言っている事の意味が理解できなかった俺は『へ?』と間の抜けたような声を出し『電話して何を話すん』と聞いた。父は『決まっとろうが。』と畳を叩くと『なんで今度の日曜に墓参りに行けんようになったんかを説明す
俺が父に『お父ちゃん、、』と言うと、父は、すぐさま、何か察したようで『なんなら』と顔もとをかえ『おめぇ、まさか、墓参りに行けんいうんじゃぁねかろうの、、』と迫って来た。図星だった。俺は『そうなんじゃ、、行けんようんなったんじゃ、、』と小声で
母は祖母の顔色を伺いつつ 『なんで美保子さんが死んだやこ言うた。 そがな縁起でもない事! 5年生にもなって言うてええ事とおえん事の区別くらいできるでしょうが』とせめて来た。 俺は、母より、黙ってお茶をすすっている祖母の方が気になったので、そっと
5月5日は男子の節句。 と、言うわけで、今日は菖蒲を活けてみた。ところで知ってました?この花、一度咲いて枯れても、枯れたところを毟ってやったらその下から二度目の花が咲いてくると言うことを、、菖蒲と勝負をかけるわけじゃあないけれど、一回だけでは
『ほれでどしたんなら』と 、父が先をうながして来た。俺がその先を言いかけた時、ついでのように、父の口元からタバコの煙が輪っかになって立ち上がるのが見えた。父が、こんなマネをするのは上機嫌のしるしだった。叱られるのを覚悟で、今朝方のはなしをき