色々あった一年。NHKのど自慢の予選に通過し、市民会館の舞台で歌ったのを筆頭に、大阪で、絡んで来たチンピラを反対に言い負かし、何故か仲良しになってしまったり、古着屋のブログに掲載されたり、どれもコレも、忘れがたい事ばかりだ。だけど、やはり、俺
再々みている井上さんの家だったが、こうして改めてみると、一段と、荒廃の度合いを増しており、天井の至る所からぶら下がっている蜘蛛の巣が不気味だった。父も、懐中電灯を持参しており、かつて、事務所であった部屋に光を投げかけながら『一段と荒んで来と
それは、庭先の方から切れ切れに聞こえて来た。俺が『庭からじゃ。ダレかおるんじゃ!』と言うと、父は『お!』と言うと、脱兎のごとく廊下に走り出、庭へ通じているガラス戸をあけた。『ダレかおるんか?』父は、暗闇に向かってそう誰何したが返事はなかった
勘定をすませた父は、お兄さんに『美味かったで宗右衛門町に持っていっても見劣りせん味じゃった』と言った。お兄さんはそうこうを崩し『お上手とわかってても、うれしゅますわ。きばって、宗右衛門町に店、持てるようになりますさかい、そのせつはよろしゅう
言った瞬間、俺は『あっ』と思ったが、幸い、父には聞こえていないようだった。それは、父の無反応ぶりからうかがう事ができた。しかし、お兄さんには聞こえたようで、『ほう、、』と感心したような声を出すと『丁寧な物言いのボンでんなぁ』と言った。それを
その時、父は、ご機嫌で、お兄さんに向かって、あれこれと、おでんの具を注文している最中だった。しかし、俺の言葉を聞くと、父は、『何ならや、畏まって、、』と不審気な顔になった。お兄さんも,俺の体から発する気配から何かを察したのか、その後は、父と
『また,出とるのう』と言った父は、俺を見て『よって行くか?どうなりゃ?』と聞いて来た。『どうなりゃ?と聞かれても、お通夜の晩に、屋台になど寄り道するのこそ、不謹慎ではないかと思った俺は、返事ができなかった。すると、父は、俺が、黙ったままでい
これだけお笑い芸人が勢揃いしておきながら、ダレひとり「金爆」に勝てていないというところが笑える。中でもネプのボケの男が『金もってんだろ』とツッコミ『持ってますねぇ』と答えられて一瞬、絶句するところが最高。ほんらい、このボケかたは、ネプのボケ
俺は『ほんまも、何も。お婆ちゃんに聞いたんじゃぁねぇわぁ、、そがな事、聞いたから言うて教えてくれるような婆さじゃねかろう、、』と抗弁した。父は『ほんまかあの婆さも意外とおめぇには甘めぇからのいつかのエロ本の事といい、、』と言った。それは、俺
父は、俺に追いつくと、『どしたんなぁええご機嫌で歌を歌うとったとおもうたら、いきなり,帰るやこ言いでしてからに』と言った。俺は、まさか、クスさんの死に顔に、威圧感を感じたとは言えず、『お母ちゃんの事が気になったんじゃ』と言って誤摩化した。父
おじさんは、音の外れなど、意に介さないと言った風情で俺の歌に聞き入ってくれた。父は、そんなおじさんのヨコで、どこか、居心地の悪そうな顔をしたまま、座っていた。俺は、歌いつつ、ふと、クスさんの顔を見た。その瞬間、俺は『あ』と言いそうになった。
『おっかさんがウチに来て、コ一年がたった頃でしょうか。不意におっ母さんが、オヤジに「旦那さん、私、欲しいもんがあるんですけどなぁ、、」言うて言うたんです。特別に、アレが欲しい、これが欲しい、言うた事のねぇおっかさんにしては、それは、珍しくは
おじさんの要望に、まず、驚いたのは、俺ではなく父の方だった。むしろ、俺は乗り気になっていたのだが、父は『おえん、おえん』と言い、俺の腕をグッと押さえ込むようにした。そうする事で、俺の口を封じる事ができると思っているような、力の入れかただった
おじさんは『どうぞ、あがって下せぃ』と言うと、俺と父を招じ上げた。父は『ダレもおらんのに、なんか悪りぃなぁ』と言い、あがって行った。俺も父の後にならい、あがって行き、クスさんの枕元にすわり、顔を覗き込んだ。クスさんは最前よりさらに白くなって
おじさんに嗜められた父は少し冷静になったようだったが、やがて、語調を変えると『スワキさん、やっぱりそれはおえん』と言った。おじさんはだまって俯いた。父はおじさんの勧めた座布団を脇に置くと、『の、スワキさん、ワシは、アンタも知ってのとおり、ク