死臭の道 一兵卒の緬甸鎮魂歌 記憶 ふたたび 「炎昼の蟻」より 藤吉淳之 戦場の足が微かに疼きくる冬に入りたる堅土踏めば 不意によせて暗き潮(うしお)の鳴るごとくよみがへりくる兵の日のこと あけがたの夢にてしきり飯盒の煤(すす)おとしゐき補充
ある挺身の兵の語る 吉田嘉七行き行けど、行方もわかぬ木の下闇のいつの日か果つる日やある、昼ひそみ、夜のみ歩む南冥のガダルカナルの森深し負い来し米はつきはてて名も無き草を喰らいつつ、辿れる尾根や、断崖やつもる朽葉にふみまよい、幾度
三鷹光器・中村義一会長を偲ぶ日記です。今朝、畏友・かま猫さんの上げられたばかりのフォトで中村義一会長の著作の表紙を観ました。深く感じ入るところがありまして、ソレをつぶやきにしました。 かま猫さん:http://mixi.jp/show_friend.pl?id=696790その
ある挺身の兵の語る 吉田嘉七行き行けど、行方もわかぬ木の下闇のいつの日か果つる日やある、昼ひそみ、夜のみ歩む南冥のガダルカナルの森深し < つづく > 「定本 ガダルカナル戦詩集 」 創樹社 CE1972
死臭の道 一兵卒の緬甸鎮魂歌 記憶 ふたたび 「炎昼の蟻」より 藤吉淳之戦場の足が微かに疼きくる冬に入りたる堅土踏めば不意によせて暗き潮(うしお)の鳴るごとくよみがへりくる兵の日のこと<死臭の道 一兵卒の緬甸鎮魂歌 藤吉淳之 全125頁 115頁よ
死臭の道 一兵卒の緬甸鎮魂歌 藤吉淳之瑠璃色に明けそむる空仰ぎゐつ出征の日の朝もかかりき脅えつつ泰緬国境を越えし記憶ともなひて鳴る遠き冬雷俘虜となりメナム河辺をさまよひき前(さき)世のごともはるけくなりし戦場に飢ゑてせしこと椀の飯箸に喰ひ
帰らじと ー 吉田嘉七帰らじと予(か)ねて覚悟のかなと出ゆ、南に進む、浪いく重、八重潮こえて、来りたる島ぞ、ソロモンさながらに地獄の絵図を地の果ての人なき島に夷(ゑびす)らは描くを望むか、火は沸(たぎ)り、空に、地に満つ。夜に日つぐ火砲の響
【仄聞諜報】甲「わがこころのよくて懇切を為せしにはあらず。糞ゆばりするが如く為せしのみ。為さざるを得ざりしがゆゑに為せしモノなりしのみ…」乙「今の言葉で理解しました。人に親切にするのは受ける人よりもする方が気持ちがいいものです。自分の為にす
死臭の道 一兵卒の緬甸鎮魂歌 藤吉淳之瑠璃色に明けそむる空仰ぎゐつ出征の日の朝もかかりき脅えつつ泰緬国境を越えし記憶ともなひて鳴る遠き冬雷俘虜となりメナム河辺をさまよひき前(さき)世のごともはるけくなりし戦場に飢ゑてせしこと椀の飯箸に喰ひ
帰らじと ー 吉田嘉七帰らじと予(か)ねて覚悟のかなと出ゆ、南に進む、浪いく重、八重潮こえて、来りたる島ぞ、ソロモンさながらに地獄の絵図を地の果ての人なき島に夷(ゑびす)らは描くを望むか、火は沸(たぎ)り、空に、地に満つ。夜に日つぐ火砲の響
死臭の道 一兵卒の緬甸鎮魂歌 「土偶の貌より」 藤吉淳之瑠璃色に明けそむる空仰ぎゐつ出征の日の朝もかかりき脅えつつ泰緬国境を越えし記憶ともなひて鳴る遠き冬雷<死臭の道 一兵卒の緬甸鎮魂歌 藤吉淳之 全125頁 112頁より>
帰らじと ー 吉田嘉七帰らじと予(か)ねて覚悟のかなと出ゆ、南に進む、浪いく重、八重潮こえて、来りたる島ぞ、ソロモンさながらに地獄の絵図を地の果ての人なき島に夷(ゑびす)らは描くを望むか、火は沸(たぎ)り、空に、地に満つ。
4時間前に思いついたことがあり、このような呟きをしました。全てをコピペしてみます。 ***************************** アリ 【グーチョキ偶感パーア】言葉、それが話し言葉でも書き言葉でも、精密に分析・解釈して読
帰らじと ー 吉田嘉七帰らじと予(か)ねて覚悟のかなと出ゆ、南に進む、浪いく重、八重潮こえて、来りたる島ぞ、ソロモン < つづく >「定本 ガダルカナル戦詩集 」 創樹社 CE1972年11月25日 初版発行 22〜24頁より創樹社 東京都文京区本郷2
死臭の道 一兵卒の緬甸鎮魂歌 藤吉淳之軍服を脱ぎすてていま湯浴する帰還せし夜のこの開放感戦乱の果てにし辛くも保ち得し身命は今はわが家にやすらふ學窓ゆ征きて還らぬ弟よわれは緬甸より帰還したるに弟はすでに戦死と還り来て聞き居つつ幼な顔の顕(た
のらぼう菜がいつ頃から栽培され始めたのか、その来歴は不明。のらぼう菜は、在来種のアブラナ(和種なばな)ではなくセイヨウアブラナ(洋種なばな)に属してい、のらぼう菜の原種は、闍婆(じゃば、現在のジャワ島)を経由してオランダの交易船が持ち込んだ
白梅に金子兜太の旅立ちぬ /自遊ひろし 水脈(みお)の果てなる炎天に向け /素門闇の梅君の墓所やこの星の /素門自遊ひろし大人 http://mixi.jp/show_friend.pl?id=2273881海軍丁事件17 February 1944CE – 18 February 1944CE
撃ちてし止まん ー 吉田嘉七この島や、小さかるとも、退かば國は危うし。この敵や、激しかるとも、我ならで誰かささえん。みいくさの尖兵にして、わが身はも、わがものならず木の根食い、土は嘗(な)むれど、わが劔、衰えはせじ。いざや今こそ撃ちてし止ま
死臭の道 一兵卒の緬甸鎮魂歌 藤吉淳之軍服を脱ぎすてていま湯浴する帰還せし夜のこの開放感戦乱の果てにし辛くも保ち得し身命は今はわが家にやすらふ學窓ゆ征きて還らぬ弟よわれは緬甸より帰還したるに弟はすでに戦死と還り来て聞き居つつ幼な顔の顕(た
死臭の道 一兵卒の緬甸鎮魂歌 藤吉淳之軍服を脱ぎすてていま湯浴する帰還せし夜のこの開放感戦乱の果てにし辛くも保ち得し身命は今はわが家にやすらふ學窓ゆ征きて還らぬ弟よわれは緬甸より帰還したるに弟はすでに戦死と還り来て聞き居つつ幼な顔の顕(た
死臭の道 一兵卒の緬甸鎮魂歌 藤吉淳之軍服を脱ぎすてていま湯浴する帰還せし夜のこの開放感戦乱の果てにし辛くも保ち得し身命は今はわが家にやすらふ學窓ゆ征きて還らぬ弟よわれは緬甸より帰還したるに弟はすでに戦死と還り来て聞き居つつ幼な顔の顕(た
撃ちてし止まん ー 吉田嘉七この島や、小さかるとも、退かば國は危うし。この敵や、激しかるとも、我ならで誰かささえん。みいくさの尖兵にして、わが身はも、わがものならず < つづく >
死臭の道 帰還して その1/4 一兵卒の緬甸鎮魂歌 藤吉淳之死臭の道 一兵卒の緬甸鎮魂歌 藤吉淳之軍服を脱ぎすてていま湯浴する帰還せし夜のこの開放感戦乱の果てにし辛くも保ち得し身命は今はわが家にやすらふ<死臭の道 一兵卒の緬甸鎮魂歌 藤吉淳
撃ちてし止まん ー 吉田嘉七この島や、小さかるとも、退かば國は危し。 < つづく >「定本 ガダルカナル戦詩集 」 創樹社 CE1972年11月25日 初版発行 21〜22頁より創樹社 東京都文京区本郷2丁目15番地21号 (株)創樹社
死臭の道 一兵卒の緬甸鎮魂歌 藤吉淳之復員のリバティ船はひたすらに帰心をのせて海原をゆく日本の横須賀の土いくたびもくりかへしつつわが足に踏む食券と二百円也支給され有蓋貨車ににてわれ復員す復員兵われに麦茶を車窓よりふるまふ媼(おうな)わが母
死臭の道 一兵卒の緬甸鎮魂歌 藤吉淳之復員のリバティ船はひたすらに帰心をのせて海原をゆく日本の横須賀の土いくたびもくりかへしつつわが足に踏む<死臭の道 一兵卒の緬甸鎮魂歌 藤吉淳之 全125頁 106頁より>
暗夜進行 ー 吉田嘉七いざ征かん、暗夜を衝きて、わが艦は勇魚(いさな)のごとく、ひたざまに浪蹴り立てて、わが意気は火と燃えさかる。今征くは敵が水域、この空も敵機飛び交う。されど誰がおわてふためき、昂(たかぶ)りて蠢(うご)めくものぞおそるな
暗夜進行 ー 吉田嘉七 いざ征かん、暗夜を衝きて、 わが艦は勇魚(いさな)のごとく、 ひたざまに浪蹴り立てて、 わが意気は火と燃えさかる。 今征くは敵が水域、 この空も敵機飛び交う。 されど誰がおわてふためき、 昂(たかぶ)りて蠢(うご)めくものぞ
死臭の道 一兵卒の緬甸鎮魂歌 藤吉淳之浮腫(むく)みたる足をひきずり褌を手拭いとして水浴にゆく川淀に水浴すると痛む足かばひて通ふ日課のごとく飯盒を数多提げては炊事場に痛む足をば曳きずり通ふ捕虜といふ運命に従ふ兵らいまは演芸会などもよほして
暗夜進行 ー 吉田嘉七いざ征かん、暗夜を衝きて、わが艦は勇魚(いさな)のごとく、ひたざまに浪蹴り立てて、わが意気は火と燃えさかる。今征くは敵が水域、この空も敵機飛び交う。されど誰がおわてふためき、昂(たかぶ)りて蠢(うご)めくものぞおそるな