古語に千五百秋(ちいほあき)という言葉があります。永遠という意味です。何年か前に作った句に『たまきはる学びの道は千五百秋』。(一生をかけて、学ぶ道を見つけたが、その道は限りなく続く永遠の道だ)学びの道とは生きる為に修行、試練、諦めない心、努力
平安時代の源信という人物が『昨日は富みて今日貧し』と述べています。『この世は有為転変(ういてんぺん)』といいます。この世は常に移り変わり定まってはいないはかないものだ。という意味です。願っていることが、上手いようにいかない。金持ちが何時まで
「寂しさに耐へたる人のまたもあれな庵(いほり)並べむ冬の山里」(西行法師) この寂しさに耐えてる人が、私の他にもいて欲しい。そうしたらその人と一緒に庵を並べて住もうこの冬の山里で。私もいつも憧れています。森や林の中でひっそりとした庵の中で
仕事納めの日は退院してくる人のお迎え対応。みんな病院は嫌だといっています。施設は家のようにホッとするようです。おめでとう!このおじいさんと娘さん(病院勤務)何年も喧嘩別れしていて、支払いだけして、面会せずに帰るので事情聞いた。二人を会わせて
真っ青なとくさの色や冴(さ)え返る(夏目漱石)澄み渡る空も帰路には冴え返る(僕)真っ青に澄みきった青空春の暖かさを感じるが、帰宅する時刻には冬の寒さの冴えが戻ってくるのだろう。今日で仕事納めです。2月からのピンチヒッターのケアマネでした。監査や
『子どもたちに、新鮮な空気が入り、明るく、陽当たりよく、広々とした教室と、涼しい寝室とを与え、また戸外でたっぷりと運動をさせよう。たとえ寒くて風の強い日でも、暖かく着込ませて充分に運動させ、あくまで自由に、子供自身の考えに任せて、指図せずに
年末に来て悲惨なニュースが次々出て来ますね。昨日は2畳の部屋に10年押し込められていて亡くなった少女のニュースを何度も見ました。何故もっと早く発見できなかったのでしょうか?それで思い出したのが、日本最古の虐待物語です。「落窪物語」作者未詳。源
日本史に残る25人の剣豪を読んでいました。日本最高の剣士は塚原卜伝(ぼくでん)。真剣勝負19度。戦場の働き37度。討ち取った首21級。かすり傷もなく、すべてに打ち勝ったことから、500年来無双の英雄といわれている。若い宮本武蔵が後ろから斬りかかったら
「おのれこそ、おのれのよるべ」(最古の仏教語)何を頼りに生きているのか。それは何者でもない、自分自身だと説いた言葉です。世の中は思い通りにならないことばかり。他の人に依存していると、思い通りにならずイライラします。自分を頼りにするということ
売り上げ台数とか、点数とか とかく数字で物事を評価する。しかし、数字では表せない良さもあるものだ。幸せ喜び感動など心に刻まれるものもあることを。ささやかな思いで書きました。感じてくれたらありがたいです。合掌
merry X'masキリストの誕生日です。新年を祝うように各地の教会は賑わっていることでしょうね。私は窓打つ雨音で目覚めました。「主よその水を下さい。」という祈りがありました。庭や大地に水を注ぐ方法に4つのやり方がある。1.井戸から水を汲み上げる。2.
武士の言葉に「紙いっぱいに一字を書くと思って紙を書き破る勢いで書こう。武士は中折れしない心があればいいのだ。」書の心得、物に取り組む心得をいった言葉です。毎年模造紙大の紙に手作りの太い筆で一字書いてます。魔除けの書です。 皆様も紙を破る勢
「春や来る花や咲くとも知らざりき谷の底なる埋もれ木の身は」(和泉式部集)埋もれ木とは水底や谷底に埋もれて、化石のようになった木から、世に知られず見捨てられた身の上のことを言う。今で言う無告の人(悲しみ、苦しみを告げる相手がいない身寄りのない人)
私には何故か知りませんが、天上からの声が聴こえてくる時があります。誰が発しているのかできる範囲で突き止めていきたいと思います。今日はブーツが浮かんで来ました。私が最近寒いからブーツに変えたのです。ブーツに意味があるのでしょうか?たずねました
マザー・テレサは敬愛していた、リジューのテレーズにちなんだ修道名をつけたといいます。テレーズは1890年代に24歳で亡くなり、わずか数10年で聖人になった奇跡の人です。その本「空(から)の手」「小さい道」の聖テレーズのメッセージを読んでいます。「あ
あなたの家にサンタさんが毎年来ていますか。僕の家にはずっと来ていません。僕はサンタさんの忘れ物。どうもサンタさんのリストは完全ではないようです。どうしても引っ越したり転校したりすると探すのに大変のようで、毎年たくさんの贈り物が残ってしまうよ
武士の言葉(葉隠)に「七息思案」(なないきしあん)があります。物事は七回の呼吸の内に判断せよ。という教えです。いつまでも煮えきらず優柔不断を戒めた言葉です。七回の呼吸も長いものです。瞬時に決断する事が大切との意味です。「溝(みぞ)をばずんと
古代の言葉に「志は木の葉に包め」という言葉があるのをご存知ですか。相手に対する志さえ厚く持っていたなら、贈り物は立派な品を選ばなくてもほんの木の葉に包む程度のきわめてささやかな品でも構わないという教えです。クリスマスの時季です。送る人も送ら
昨日はケアマネ研修でした。3時間早口でよく話す東京の女性講師でした。居宅ケアマネの講師のようで私には分からない話が多かった。テストは何とかクリアしましたよ。本当に居宅ケアマネは偉いと思います。いつかやりたいと思いますが、私は現場が命だと思い
私の担当のおばあさんが朝7時30分に亡くなった。私が出勤した時家族が来て知りました。あごがよくはずれて、歯医者に家族とよく行っていたし、今は大学病院に変えたからまだ大丈夫だと思っていた。娘さんが今朝枕元に母が立っていた。「淋しい」といったので
1年の資料整理をしていると、亡くなった方の資料をパソコンから消去したり、整理保管している時に生前の姿が思い出されて心が締め付けられる思いになりました。そんな気持ちを古代の人は「ありのすさび」と述べていました。何か不思議な言葉だと思いませんか
『花誘う 嵐の庭の雪ならでふりゆくものはわが身なりけり』(百人一首より)(花を誘って散らす嵐が吹く庭に、雪のように花が散っている。これは花吹雪ではなく、実は年老いてゆくわたしであったよ。)体は昔より確かに弱って無理はきかなくなったけど、心は枯れ
昨日は四ッ谷、銀座に行きました。ルルドの水や教文館で教会本を買ってきました。午後は乃木坂の修道院によりミサに参加させて頂きました。いつもぺトロ神父のブログを読んでいたのでお会いしたく行ってきました。クリスマスが大好きだった聖人パドレピオを祈
今日はお手本によく書く漢詩から紹介します。「万法帰一」(ばんぼういちにきす)苦しみや悲しみは絶対に続かない。「脚下照顧」(きゃっかしょうこ)未来とは遠くにあるのではない。足元に気をつけ一歩ずつ進んでいくものである。「喫茶去」(きっさこ)今と
古代エジプトでは「人が死ぬと魂(バー)が肉体から離れる」と考えられていました。キリスト教でも、神が地上の人間にくだす〃最後の審判〃で大天使ミカエルが「魂の重さ」を量るといいます。1901年アメリカ人医師マクドゥーガル博士が死の前後の体重に変化が
何ヵ月前か全社員にストレステストをさせられた。その診断結果の手紙が皆に届いた。私はユニットを巡回していた。あんたはいつものんびりしていていいね!いつも元気だね気楽な人だねという声をかけられて事務所に帰って来てこんなこと言われた!失礼しちゃう
この歳でテストテストにあけくれています。13回合格しないと、資格の更新ができない。この体験から感じた事「絶望は向こうから勝手にやって来るが希望は自分が挑戦した上にしかやって来ない。なかなか手に入らないものそれが、本当に価値がある」皆様も幾つに