「希望はずいぶん嘘つきではあるが、とにかく、私たちを楽しい小径をへて、人生の終わりまで連れていってくれる」(1613年フランスの文学者ラ・ロシュフーコー)「牢獄という極限状態にいても幻想であったとしても、窓から射し込む明かりのもとに、温かいビフ
鎌倉幕府の初代将軍、源頼朝(弟・義経)の妻に北条政子がいる。頼朝51歳で亡くなった時に髪をおろし、尼さんになりました。彼女が法然(ほうねん)に浄土宗の教えを分かりやすく説いていただいたものが「浄土宗略抄」です。北条政子は祈れば、病気や命が永ら
仏教の教えに「草木成仏」があります。心のない木や草も、仏に成ることができるという教えです。春になれば満開の花を咲かす桜や、種の状態で土の中で機会を待つ雑草たちにも仏に成る種を持っている。芽が出て、花が咲き、実が成る種はあなたの中にもあります
仏教の言葉に「明珠(めいしゅ)、掌(てのひら)にあり」があります。明珠とは光を宿す透明な玉のことで、「仏の心」「悟り」をいいます。『自宝(じほう)を知らず、狂迷(きょうめい)を覚と謂(い)えり』(空海)悟りは自分の手にあるから、遠くに求めて
『仏教に学ぶ八十八の智恵』ひろさちや著を時々読み返している。僧侶ではなく、東大の文学部を出て宗教を学んでいるいわゆる宗教家です。私も僧侶ではないが、宗教を学んでいるので、考えが驚くほど似ているので好んで読んでいます。存命なら80才を越えていま
「いづれの人とも打ち合ひその心を知りて千里の道も一足づつはこぶ也」(宮本武蔵)宮本武蔵は常に、人との出会いを大切にした。五輪書に、どんな人間にも、必ず学ぶところがあるとのべている。人との出会いを気合いと考えていた。勝つか負けるか。気合いの勝
夜勤明けで夕方まで寝てしまいました。今日は聖書から、いい言葉を紹介したいと思います。弟子たちがイエスのところに来て言った。「それでは、天の国では、だれが一番偉いのでしょうか。」そこで、イエスは小さい子どもを呼び寄せ、彼らの真ん中に立たせて、
町内会の役員をしていた時に、立札や看板を書かされたことがありました。土足厳禁、整理整頓、ごみ捨てるな等々。あまりにも関東らしい味気のない表現です。そこで、よく思い出す関西の言葉があります。『あんたがいらんもんはわしもいらん』と書くそうです。
平安時代の作者不詳の歌謡集に「遊びをせんとや生まれけむ。戯れせんとや生まれけむ。遊ぶ子供の声聞けば我が身さへこそゆるがれる」という歌があります。(現代訳)うらやましいなあ、あの子達は。遊びをしようとして、生まれてきたのであろう。戯れしようと
今日は「手放す幸せ」について話したいと思います。般若心経に「度一切苦厄(どいっさいくやく)」という言葉があります。度は動詞で、「悟りの世界に渡す」という意味です。ゆえに、度一切苦厄とは『すべての苦しみや行き詰まりを、悟りの(心やすらかな)岸
今日始めに紹介したいのは、四国遍路に行かれた方が、あるお寺の本堂に貼ってあった言葉を書き写し、仲間に配っていたという言葉です。年をとったらでしゃばらず憎まれ口に泣き言に人のかげ口愚痴言わず他人のことは褒めなはれ聞かれりゃ教えてあげてでも知っ
まずは誕生日の御祝いメッセージをたくさんの方々から頂きました。本当にありがとうございました。とても感激しています。この場を借りて御礼申し上げます。m(_ _)m今日は、『つまずいてこそ出会う』について話したいと思います。生きることはとても辛いこと
音は聞くもので、見るものではない。そう思っていませんか。そのような、とらわれた概念から離れてみると、音は見えてくるものです。私はまだ見えるまでの悟りはありませんが、感じることがあります。海やプールで潜って泳いでいると、水のささやく音を感じる
人間は自然によって生かされてきた。古代でも中世でも自然こそ神々であるとした。このことは、少しも誤っていないのである。(司馬遼太郎)春は花夏ほととぎす秋は月冬雪さえてすずしかりけり(道元)形見(かたみ)とて何残すらむ春は花夏ほととぎす秋はもみ
「あれになろう、これになろうと、焦るより、富士のように黙って、自分を動かないものに作り上げろ。世間に媚びずに世間から仰がれるようになれば、自然と自分の値打ちは世の人がきめてくれる」(宮本武蔵)努力したい言葉を紹介しました。さて、こんな話を聞
昨日は寂しい思いや、暗くなったことがありました。このようなことは、誰にもあると思います。それに、ついて述べている方の言葉をお借りしたいと思います。『しかしこの寂しさは人を真面目にする。しんみりさせる。正直に何かを求めさせる。謙遜にしてくれる
医師と住職の会話より(住職)「先生認知症になっても性格は変わらないのでしょうか」(医師)「人の性格は死ぬまでなおらない。認知症になっても性格は変わらないよ。認知症は脳のなかでも浅い部分で認知していたことを忘れてしまうので、その人の気持ちや性
『心の窓』鎌倉建長寺の開山大覚禅師は「建長寺はすべて松関をとじず、無限の清風来たりて未だやまず」と述べています。修業者にも一般の人々にも、老若男女、あらゆる人に対して、いつでも門戸を開いているという意味です。また、臨済宗建長寺派住職は「無限
何かを決断しようとするとき、心の中を不安がよぎることがあります。そんなときは、揺れる気持ちを素直に受け止め不安の正体を明らかにしましょう。仏教では「明らかにする」ことを「諦(あきら)める」と言います。どんな強気の人でも不安に想うものです。迷
今日は都内のパワースポットに行ってきました。昨年東出さんと杏さんが結婚式をあげた、虎ノ門にある愛宕神社に行ってきました。以前から行きたかった所でした。江戸時代三代将軍家光公が徳川家の菩提寺の増上寺を参拝した帰り、愛宕神社の前に来ました。ここ
『一瞬で心が通じる人と出会う』人が人を理解するというのは、必ずしも対面して長く話し合えば得られるものではありません。ほんとうに信頼できる人と巡り会えば、わずかな言葉で心が通じ合い、お互いを理解し、一瞬にして深い信頼関係を築けます。(空海)こ
6年前のニュース番組のコーナーに『そっと後押し 今日の説法』がありました。「僧侶の会」から、毎週各宗派の住職達が出て説法していました。その本がありますので、今日はその中から気に入ったのを紹介したいと思います。『悩み苦しむ自分を受けいれる』(
昨日節分の日に、横浜にある禅寺総本山、総持寺に参拝して来ました。石原軍団や笑点の圓楽さんや、多くの芸能、スポーツ選手から福豆を頂きました。今年は善い年になりそうです。石原裕次郎さんのお墓にもお参りしました。7月17日が命日です。あじさいが大好
今の施設にはいませんが、以前勤めていた所に厳しいことを言ったり、怒鳴ったり手を上げたりする上司がいました。皆様の所にはいませんか。自信家に多いですね。老子の言葉に『善(よ)く戦う者は怒(いか)らず。善く戦いに勝つものは争はず。善く人を用(も
イスラム教の創始者、マホメットが奇跡を起こすということで、群衆が集まって来た。山を動かすというのだ。「おーい山よ。こっちに来い!」しかし、山は動かなかった。「おーい山よ。こっちに来い!」二度、三度呼びかけた。しかし、山は動かなかった。仕方が