秋の風を感じる時季になりました。『秋深き隣は何をする人ぞ』(芭蕉)秋も深まり、物寂しさがつのるこの頃、ひっそりと毎日を過ごしているようにみえる隣の人はどんな人でどのような生活をしている人なのだろう。『あばら骨なでじとすれど夜寒かな』(一茶)
僕が書の作品を書くとき、自分の力以上に書ける時があります。それって、何でしょうかね?作品が生きているというのか、魂が入ったというのか、神が書かせてくれたのかそんな気がします。音楽家からもよく聞きますね。神が降りて来たと。一心不乱に集中すると
今日は一人の名僧を紹介したいと思います。愛知県で生まれ、滋賀県大津市で、臨済宗月心寺の住職をしていた村瀬明道尼さん(89歳で2年前に亡くなった尼さん)です。NHKの朝ドラで料理人を目指す『ほんまもん』の指導者、野際陽子のモデルになった精進料理で
禅の言葉に『非思量(ひしりょう)』があります。物事を自分の中にとどめない状態を指す言葉で、頭の中を空っぽにして、心を無の状態にすることです。今日は関東は10月並の寒い日でした。秋の風を感じている人も多かったと思います。忙しい時、悩み多い時、頭
昨日は何故か不思議な一日でした。ケアマネの女性が私のユニットに回って来ました。実家が良寛さんの五合庵のそばの女性で、先日お父様の末期ガンの悩みを聞いた方です。僕の顔見て急に思い出したのか、今朝2時過ぎに女性の笑い声に目が覚めた。聞いたことな
僕が愛する良寛さんと、マザー・テレサを同じような人と評した本を見つけた時には驚きました。皆さんもそう思いませんか?時代が違う歴史上に好きな人が共通点があるなんて知ったら間違っていなかったと確信持ちました。これも縁でしょうか。良寛の詩に『わた
今日は聖書より、よく聞くお話を紹介します。マタイによる福音書5章1〜12イエスはこの群衆を見て、山に登られた。腰を下ろされると、弟子たちが近くに寄って来た。そこで、イエスは口を開き、教えられた。「心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たち
初めて僕のブログ(日記)を読む方も多いと思います。僕はこの携帯ブログという機能を知る前は、自分で手書きにしたものを短冊にして、学生時代、路上で販売していました。ほとんど売れないのを知ると、無料で配っていました。手相をみたお客にあげたり、お習
『登山の目標は、山頂と決まっている。しかし、人生の面白さ、生命の息吹の楽しさはその山頂にはなく、かえって逆境の、山の中腹にある』(吉川英治)とても意味深く、気になる言葉だと思い紹介しました。目標にたどり着くことが人生だろうか。どこかに行くこ
今日は聖書を読んでいます。特に仕事柄マザー・テレサが好んで読んでいたと思われる聖書の言葉を紹介したいと思います。『祈り』祈りは信仰を生み、信仰は愛を生み、愛は貧しい人々のためへの奉仕を生みます。『主よ、私をあなたの平和の道具にしてください。
今日は夜勤明けでした。無事徘徊者の転倒もなく静かな夜でした。というのも、昼間の夏祭りに参加して楽しくて疲れたからかもしれません。助かりました。行事委員さんお疲れ様でした。今日は読者より、私の所に何か悩みごとがあって苦しんでいる。本を買ったり
また、徒然草を詠んでいます。その中に、昔の賢いお坊さんが書き残した書物を見たらいい言葉を見つけたと紹介していました。『1、したほうがいいだろうか、しないほうがいいだろうかと思ったことは、たいていはしないほうがいい。2、身分の高い人は低い人の気
昔の仲間達から、私のような武骨で営業畑で売上げと利益追求ばかり考えて生きて来た人間が、どうして、福祉の仕事についているのか信じられないと言います。定年後の働く場所はあまりにも限られています。そんな時、夢に知らない老婆が現れました。新宿のオフ
『世界中のどこであれ、病人や貧しい人のお世話をする時、私達はキリストの苦しんでいる体のお世話をしているのです。貧しい人々に奉仕している時、私達は神に仕えているのだと確信していることなのです。持ち物が少なければ少ないほど、多く与えることができ
今日は般若心経より『依般若波羅蜜多故』(えはんにゃはらみったこ)という言葉を紹介します。直訳すれば心に妨げるものがなくなったという意味です。例えば何かどじな失敗をしても相手の気づかいで気持ちが救われたということなどです。作家の向田邦子さんが
五合庵でひとり暮らしの雪の中で、良寛は長い間病気に苦しんでいた。老いて病の床にふし、優しく介護してくれる女性の来訪をひたすら心待にしていた。『君や忘る道やかくるるこのごろは待てど暮らせどおとづれのなき』あなたが私のことを忘れたのか、夏草が茂
昨日は徒然草の作者兼好法師の庵を訪ねました。今日は以前『私は草花』で紹介しました良寛さんが、晩年住んでいた新潟の山深い五合庵(毎日托鉢して五合の米がたまったら庵に帰ることから名前がついた)についてまた、話したいと思います。この庵に泥棒が入っ
私は隠遁生活している兼好法師の庵を訪れた。山深い庵だった。良寛さんの庵に似ていた。兼好さんやって来ました。美味しい酒を持参しました、今宵はじっくりつれづれなる話を聴きたいものです。『おう、こんなわびしい庵によくぞ起こし下さった。では一杯頂き
僕が古典好きなのは、仏教と同じく生きる知恵の宝庫だからです。その中でも世間を離れて隠遁生活に入った、兼好法師が、自由にのびのびと書いた『徒然草』は楽しく強く生きるヒントが一杯です。冒頭の書き出しに『つれづれなるままに、日ぐらしすずりにむかひ
何かを始めようとする時は誰もが不安な気持ちになるものです。僕達の時代は金の玉子と呼ばれた中学出の集団列車が上野にやって来ました。みんな期待と不安を胸に抱いて上京してきました。お陰で東京は立派に復興しました。新しい職を探している人や親の自宅介
映画観て来ました。僕はカレーパン、ハッシュドポテト、ホットドックを買ってトム・クルーズの映画観て来ました。僕は気が小さいんだなと思いました。買ってきたパンを食べようとしたら両サイドが若いカップルで、その中でカレーの匂いしたもの食べる勇気なか
僕は夢をよく見ます。『夢物語』の本ができそうな位です。(笑)昨晩は何か嬉しくなって目覚めました。突然大勢の皆さんから祝福されている夢でした。その地位の証の宝石を散りばめた腕輪をつけられ壇上に歩いていました。いったい何なんでしょうか?続きを見た
夏の雲見るたびに『運』の話を思い出します。昔からよく聞く話ですから知ってる人も多いと思います。雲をチャンスとか運に例えた話です。『猛烈な暑さの下で畑仕事をしていました。遠くから雲が動いて来ました。あの雲の下は涼しいだろうな!と思い雲がやって
夜勤明けで寝ていました。10分おきに部屋から出てきて『いつ家に帰るのか?家に電話してくれ!』と夜中零時まで聞きにくるおばあさんに疲れてしまった自分はまだまだ未熟だと思いました。軽く聞き流すのができないから、その都度対応していたからかも。おばあ
『なみだは人間の作る一番小さな海です』(寺山修司)いい表現ですね。涙の数だけ人は生まれ変わる。涙の数だけ人は優しくなれる。『涙の後に立ち上がる』と書いて『泣く』ができたという。泣きたい時は泣けばいい小さな海の先には大海があるから。大切な御先
昨日に続いて、江原啓之さんの本より抜粋して供養について説明します。はじめに、スピリチュアリズムの二大法則『波長の法則』と『カルマの法則』を説明します。『波長の法則』とは類は友を呼ぶという法則。その人が出している波長と同じ高さの波長を持つ人が
僕は多少霊感が強いので何かと相談されることがあります。(最近弱くなったかも)スピリチュアで有名な江原啓之さんの本を読み共鳴しています。その中から供養について紹介したいと思います。苦しい苦しいと言って亡くなった方の供養には『良かったたね、もう
僕なりの終戦記念日を語りつごうと思う。僕の家は港町だった。近所のおじさん達の多くは海軍に志願し、軍艦に乗って南方に行ったといいます。皆撃沈され南方の彼方で戦死した。親戚の叔父さんたちもそうだった。大火傷し生き残って生還した方に何年後に会って
仏語に『心無罫(トがない字)礙(げ)・しんむけいげ』があります。心にこだわり、わだかまりがないという意味です。どこを見て生きるかで、人生は変わります。『ないものを嘆くな、あるものを活かせ』松下幸之助『青がないときは、赤を使えばいい』ピカソ確