1三蔵法師西域記 2マルコポーロの 東方見聞録 3日本の円仁(えんにん)の入唐求法巡礼 と言われています。 円仁は平安初期の天台宗延暦寺の座主で、遣唐使として唐にわたり、10年旅をして仏教を学びました。 &
以前の日記に『声なき詩』を書きましたが、身体障害施設にいる20歳の声を失った寝たきりの女性の詩に『こんな体になったけどしがみついて生きる』という言葉の表現が気になっていました。もしかして、仏教を読んでいるのかも知れないと思ったからです。刑務
平安中期の歌人で、今後このような人は現れないだろうという、美男で人柄も良かったという美貌の貴公子藤原義孝について話したいと思います。『君がため 惜しからざりし 命さへながくもがなと思ひけるかな』(後拾遺和歌集)あなたのためなら、捨てても惜
僕は小さい時から、親父に『お前は本当にのんきものだ』と口癖のようにいわれました。皆もそう思いますか?だから、僕は否定しませんでした。履歴書に短所はのんきものと書いていましたから。長所は好奇心旺盛です。しかし、最近親父の言ってた“のんき”につ
昨夜の夜勤に一人おばあさんが亡くなりました。 家族に看取られて穏やかに逝かれました。 スタッフも生前から、お別れにいったので家族も感謝していました。 娘さんから書のお礼をいわれました。 僕は顔を撫でて、頑張
松尾芭蕉の「奥の細道」の書き出しに、 『月日は百代の過客にして、行きかふ年も又旅人也、日々旅にして旅を栖(すみか)とす』 月日というのは、永遠に旅を続ける旅人のようなものであり、 来ては去り、去っては来る。 年も同じよ
お腹に無理のない食事量をよく『腹八分目』といいます。僕は人生の生き方も同じだと思っています。『人生80%』です。何をするにも、100%の完璧主義を目標にしたら、体も、頭も、心も限界になり悲鳴をあげてしまいます。車のハンドルには「遊び」があります。
僕はグレープフルーツジュースが好きでよくスーパーに買いに行きます。 一緒に並んでいるグレープジュースを取ってしまうことがよくあります。 グレープてぶどうでしょ。 何で形も大きさも違うのに、グレープフルーツてつけたんだ?調べたら実
男性は定年間近になったり、定年後にはゆっくり読めなかった本を読みたいと思うものです。 僕は若い内から全集ものを沢山持っていました。 司馬遼太郎の30巻とか。 時代劇から外国作家なども。 それを上司から貸して欲しいと
銭湯の帰り広い野原を自転車で走っていた。初夏の風が湯上がりの汗をかいた肌を爽やかにしてくれた。桜は散って葉桜になっていた。大好きな、夏がやって来る。あと何回この景色を見れるのだろうか。もう二度と見れないのだろうか。それとも、この野原に地蔵と
過ちをよく起こしてしまう僕は 反省を込めた自戒の念をいつも述べています。 世の中は戒め(規律・規則)に締め付けられて生活しています。 確かに悪いことはしてはいけませんが、 相手の気持ちを考えて言う 『うそも方
夜勤明けで今日はブログアップが遅れてしまいました。平穏な夜勤は久し振りで助かりました。今日は『人間力』について医学博士の文書を借りて説明したいと思います。人間力を養うには『劣等感と失敗体験』といっています。ナポレオンは身体が小さかったことと
僕の事を仲間達から人の3倍から5倍生きてるようだといわれます。それは、人が体験できない事をたくさん体験しているからとのことです。たしかに、いろんな事件の起きた近くの現場にいつもいるから不思議がられた。偶然がよくあった。僕にも何故か説明できな
僕のペンネームは『お地蔵』です。菩薩には観音菩薩、地蔵菩薩、虚空蔵菩薩他諸々の菩薩があります。阿弥陀如来や大日如来は極楽浄土にいった人を救う仏です。菩薩は仏に準じた存在でこの世に留まって人びとを救っています。いずれ、仏になって成仏します。し
原宿は外国の町のようになってた。とても日本ではないね。僕は裏道を散策していたら、香取慎吾と、大泉洋と、ざきやま、の三人がパン屋とかに飛び込み取材してたのを偶然出会って観てた。『おじゃマップかな』面白かった。香取慎吾ちゃん色白だった。写真はだ
映画批評に 『女は記憶に化粧して美しくなる。 男は傷を負いながら強くなる。 人とつながることの愛おしさが身に染みる』 (フリーキャスター、エッセイスト・雨宮塔子) 何か奥深い言葉ですね。 空海は 『心の化粧』
あなたはどんな欠点がありますか? ふむふむ たくさんありますね(笑) それらは、自分が勝手に決めている欠点かもしれませんね。 人は案外そうは見ないものですから。 『欠点をマイナスにみ るとコンプレックスに な
遠い存在と思っていたのに意外な男女のカップルができた時に使う 『遠くて近きは男女の仲』がありますが、 この言葉の語源は 清少納言の枕草子でした。 「遠くて近きもの 極楽、舟の道、人の中」 「近くて遠いもの
古語に 『風従花裏過来香』 (かぜかりよりすぎたってかんばし) があります。 もともと香りのない夏の風が、 花々の間を過ぎて、 花そのもののように香っている。 出会うことも、運ぶことも修行。 無心でいれ
僕は都内で飲んでました。 帰りは最終の新幹線で帰ることにしました。 なんとか間に合って座席に座ると、 うとうとと寝てしまいました。 降りる駅は隣の新横浜です。 新横浜のアナウンスに目覚めて 慌てて 降りようとした
僕が大好きな言葉だからまた紹介します。 『八風吹けども 天辺の月』 (法然) 喜びも悲しみも 楽しみも苦しみも 吹いているこの世 清らかに 輝いている 月のように 動揺せずに
最近はパワースポット巡りに神社を訪れる方が多くなりました。 神社の入口には必ず鳥居()があります。 あれはなんであるのでしょうか? あれは“にわとり“のとまる 止まり木をイメージしたものだったのです。
仏教の本を読んでいたら、仏教の教えのひとつに『知恵』があります。修行には真実の知恵をもつこととあります。つまり、仏教の教えとはなんであるかを分かりやすく伝えること。具体的には生きる上で『こだわるなかれ』と説いています。僕達は常に何かにこだわ
生き方の達人が『よく生きる』とはさまざまな喜怒哀楽の繰り返しを『よく頑張ってきた』と自分を誉めてあげること。と述べていました。ところで、今日ある大手のサイトの事務局から2000回越えました。この中から抽選で賞金が出ます。とメールが来ました。そん
『僕はあなたの味方』の記事に僕の上から目線の記事に疲れたと読者を辞めた方からメールが来ました。僕の後先の日記を見て、大変失礼しましたと何か気づかれたようです。去るものは追わず、されど、来るものは拒まず。また、読者になられたことをご報告します
人生に疲れたり、うまくいかない時、つい口にでる『人は何の為に生きるのか?』誰もが、悩むものです。シルクロードがあります。永遠に続く砂漠を行かなくてはなりません。僕はあの黄砂を途中まで行きました。先輩はその先まで旅をしました。果てしない砂漠に
『遠観山里色』(とおくさんりのしきをみる)この言葉の意味は遠く山の上から人の住む山あいの里を眺める。という意味です。また、ふるさとは 遠くにありて 思うもの。自分の国や町、仕事、家族、人生など遠くから眺めて観るのも必要だと説いています。良い
世にも不思議なことがあるものです。病院や老人施設ではよくある現象です。一昨晩もあり、女性スタッフが怖がっていました。一階の食堂調理室からの台車専用の人も乗れるエレベーターが深夜突然動きだす時があるのです。そして、どこかの階で止まり、ドアが開
僕のブログに突然入ってきて感動して、読者になり、その内、上から目線の内容に疲れたからと、読者脱退する人がいました。その方は自分にプライドとか、強い生き方を持っているからでしょうか。僕の年齢を知ったら驚くでしょうね。謎ですから。(笑)僕が父に上