すべてこの世は金次第。石油超成金守銭奴老人の末路をクリストファー・プラマー(ケビン・スペイシーの代役)が怪演。
瑛太(奥野ではない方の)、超絶の演技。どんなに悔やんでも過去は変えられない。犯した罪の重さに向き合おうとすればするほどなおも苦しみは深くなっていく。狂っていたほうが楽である。この作品には出てこないが、加害者家族の自死率はおそらくかなり高い
舞台が2005年の春なのはその時制に事件的な意味があるわけではなく、元となった戯曲が初演されたのがその年であって、つまりその戯曲はリアルタイムの29歳の台湾未婚女性2人を主人公としたからなのだ。それ以来規模を大きくしながら今に至るまで演じられ続
『万引き家族』みたいだなあ(まだ観てないけど)と思ったら、ショーン・ベイカーは『誰も知らない』にいくらか影響されたらしい。(でも丸々なぞったわけでもなくて、演出スタイルだって是枝とは違って口伝えではなく、子どもたちにちゃんと台本を渡して覚
沖田監督インタビューを読むと、随分現場で樹木希林らの進言を受け容れたようで(♪危険なふたり とか「前の夫はいいひとだった」とか「自分は長生きしていいんだろうけど子どもたちが先に死んで…」とか)。その部分が面白いんだからなあ。
中盤まではまだよかったんだけど、終盤ガタガタになる。つまり、着想だけあって、構成できていないのだ。『娼年』のほうが出来がいいように感じてしまうぞ。
199分のラブコメディというたいへん困った代物(笑)。話としては90分に十分収まる内容だし90分に収めないといけないのだが、199分がさほど長く感じなかったことも確かだし、2本に分けたくないし縮めたくないね。群像劇がじわじわと予想通り収斂していくのが
『仁義なき戦い』や『県警対組織暴力』へのオマージュというか「追従」は感じられるけれど、東映マークに引っ張られてそのイメージで観ていると、『アウトレイジ』シリーズの臭いも嗅ぎつつ途中あたりから強い違和感を感じるようになっていく。ははーん、成
原作となった自伝はあるわけだけど、どこまで本人たちに取材したのだろう。『アイ,トーニャ…』とは違った形で、アメリカの高学歴でも高収入でもないオーディナリーピープルたちの生活が赤裸々に描かれていく。別に主人公だけがダメ人間ではないのだ。テロ
三池崇史、落ちたり。ベテランなら金子修介、若手なら入江悠が撮るべきだったろう。あと、これは三池の責任ではないのだが、ライターの選択を誤っている。リアルな連ドラは書けるひとでも、荒唐無稽な設定を強引に押し切るような映画のシナリオは書けないの
日本でもフィギュアスケートというと、「母親がパートで働きまくって稼いだ金でレッスン受けました、衣装は母の手縫いです」という貧乏人成功(はなかなかしない)物語として語られることが多いが、アメリカでも似たようなもの。というか貧富の差が学歴や品
この映画について語ることが怖い。何故なら、作品について語ることによって語る側もまたこの作品の持つ批判性の対象となってしまうような気がするから。
70年代後半。北イタリア。青春という林のなかを二人で通り過ぎた夏。すぐに結ばれるには頭が良すぎた二人。通過儀礼を見守る両親。 主人公がアメリカ人の父(高名な学者)とイタリア人の母(資産家)とのハーフで、父や彼氏と喋る時は英語で母や友人たちと