近現代史のある部分をフィクションとして創作する場合、作り手が史実に対して極めて敏感に謙虚であらねばならない。作り手の思いだけで独善的に走ってはならない。史観が未だ定まらぬ中で国を問わず虐げられた者、敗者の声に必死に耳を傾け、歴史の輪郭を率
生まれも育ちもニュージャージー州はパターソン市。バスの運転手パターソンは詩人でもある。妻は公表するようにとしきりと勧めるが、気が乗らない。手ごろな家で妻と愛犬との、毎日判で付いたような暮らし。ちょっとした騒ぎはあるにしても… アメリカ映画
スペインのSF映画というだけでもあまり日本では公開されないのに、コロンビアとの合作(ロケ地)というのは珍しい。ほほう、と思ったのは確かコロンビアって赤道直下の国で、赤道に近い場所はロケットを打ち上げるのに適しているからである。現在スペイン
大人と子どもとを分けるものがあるとしたら(子どももまた遠からず大人になるのだけれど)、大人とは何処かで過ちに気付き調整できる存在であるということ。なかなか過ちが分からなかったり調整に失敗したりはするけれど、他者や時として子どもの姿を鏡(鑑
自宅にいるところを突然黒ずくめの男にレイプされる女。それを目撃していた一匹の猫。鍵を変え催涙スプレーを買い、ごく親しい友人にだけは打ち明けるが警察には届け出ない。何故なのか。そしてレイプ犯は誰? というような一見ミステリーのような展開のよ
石垣島など八重山地域に台湾から来た移民(国籍的に煩い書き方をすると「台湾系日本人」)がいるとは、この映画のことを知るまでは知識としてなかった。彼らは日本の台湾占領政策のとばっちりを受けて、八重山にやってきたのだ。貧困と辛酸を経験しながらパ
アメリカとの戦争終結から十数年経った1989年のベトナム。カンボジアや中国との紛争も収まり、ドイモイ政策の導入によって大きく変わろうとしていたが、経済発展が進むのはこの十年後。とりわけこの映画の舞台である田園地域では電気も来ていない家も多く、
こういう作品に生半可な解説は要らんでしょ。実はめちゃめちゃマニアックなのだろうが、間口が思いっきり広い。だから私なんぞでも楽しめる。 観なはれ。 (監督作としては)あの『ワールズ・エンド 酔っぱらいが世界を救う!』の次がこれなのね(笑)。 し
高校(共学)の同級生女子。友達やBFと仲良く学校生活を満喫している(ように見える)「はづき」と、無口で優等生の(ように見える)学級委員「葵」。口を利くこともなく卒業してしまう筈だったタイプの異なる2人だった。実は葵は金銭的には恵まれていたが
このところ何故か立て続けにフィリピン(を舞台にした)映画を観ている。これで3本目。いずれもスラム街(貧民街?)が主な舞台。いずれにもニューハーフやゲイが登場し物語上 役割を果たす。 フィリピンの政治情勢について書くのは止めときましょう(^_^;)
まあ、何度も映画化されとりますんで(最初のラングのなんて、まだ戦時中に)。 暗殺者たちが立て籠もり700人以上のナチの兵と大銃撃戦となった聖キュリロス・聖メトディウス正教大聖堂というのは今でもプラハにあって、観光名跡の一つとなっているそうで
時は1945年12月、処はポーランドの何処か(都市ではない) 登場人物は フランス赤十字の駐在所で働く女性医師マチルダ 彼女の同僚であるユダヤ人医師の男(ホロコーストで両親を失っている) カトリック系修道院の院長、修道女たち(ポーランドはカトリ
行間を読むのは大事ですが、行の間から意図も描かれもしてないものを無暗に読み取ってしまう(ように評論を書いてしまう)のは文筆家の悪い癖です。そこに、批評・評論自体にある種の創造性を認め、文化の深化、広がりと見做すということはあるのでしょうけ
たまたまなのか、何か背景があるのか、ここ数年カナダからフランスやEUの国にやってきたり逆に向かったりする公開作品が多いような気がする。トランプが間違って大統領になってしまったよりも前の制作だからトラのせいではないが、移民の受け入れとか総じ
この作品の若き作り手ステファン・ダン(脚本・監督)は出身国(カナダ)、セクシャリティ(ゲイ)、生年(1989年)とグザヴィエ・ドランとよく似た境遇にある。早熟でローティーンの頃から映像作りを始めたり演じたりしていた2人。ドランはケベックの仏語
北川れい子がキネ旬で子どもの演技がどうたらこうたらと書いているが、何にも分かってないね。ここでは、昨今の「自然な」「巧い」子役の演技なんて余計じゃないか。素人の地元の子どもたちに、それが稚拙に見えようと朴訥な演技をする。子どもたちだけでは
労働食という意味ではホットドッグの方が歴史が古いのであろう。街角でも歩きながらでも食べられる。ハンバーガーをパンに挟んだ代物はナイフとフォークを使って食べる食べ物だった。それを紙に包んでそのまま食べるテイクアウト品として提供したのがマクド
つる姫じゃ〜っ! 歴史上「鶴」という名前の姫はたくさんいるわけで、徳川綱吉の娘もそうだし信長の娘にもそういう名の娘がいた。そもそも殆ど記録上に残らないのが女の名前だから無数にいたに違いない。戦国期で有名な鶴姫といえばかつて日テレのドラマで
難病モノというか余命モノとでも云うべきサブジャンルがあって、その存在は今に始まったことではないし何も日本だけのものでもない。実話であれフィクションであれ、観る者の感情をいとも容易く操るように作れちゃう。死だけは誰にでも確実に訪れることが分