こういう企画ってやりたいことが分かるだけに、過去のインサートの仕方だとかアラばっかり目立ってしまう。(いかんのですよ。決して悪い映画じゃないんだから。基本は褒めないと) 何が一番拙かったのかなあと考えていくと、演出・演技ではないかという
バンバンバカンス、バカボンボンボンボヤージュ(爆)。夫・美容整形医と妻・精神科医との下流セレブ一家を乗せて南仏に向かった最新式の新車は、自動速度維持装置がぶっ壊れ。AIを信じちゃいけないよ、もうどうにも止まらない…。 家族といい警官といい
くちさがない言い方をするなら「あんさん、ロイヤルバレエ団に残ってればええのに。その頃のパフォーマンスの方が豊かやし観ていて楽しおすえ」ということになる。しかし、これは人間の生き方の問題である。 ウクライナの庶民が一族挙げて天才少年をダンサ
粗筋書きしていくと作品のエッセンスからどんどん離れていきかねない、そういうタイプの映画である。冒頭の「生きていた首吊り自殺者」にしても「エレベーターに現われたアパートから落下して死んだ少年」にしても、あれは現実なのか幻影なのか主観的幻想な
何故ボクサーを目指したのかとかどういう拘りがあるのかとか、主人公ビニー・パジェンサの過去や内面は殆ど説明されない。まあ粗々のことは察せられるけど。むしろトレーナーや主人公の父親ら家族の心情とそれぞれの変化によって物語が浮き上がっていく。主
主人公の母の急死の秘密(真相)自体、早い段階からその真相は暗示されているし、何ら驚かされる要素はないのだけれど、一応ミステリー仕立てになってるから、書いちゃいけないんだろうなあ。著名な記者が書いたという原作小説は実話が基になっているらしい
宗教とAV(アダルトビデオ)、或いは性産業とは相性がいい(?)という話は聞いたことがある。そもそもアメノウズメからして芸能の神であり日本最古のダンサーというか、日本最古の「水商売の女」だったわけで。陰部も丸出しの全裸でただ踊っていただけで
大津波と原発事故から5年が経過した福島県磐城地域。家族を失い田畑や漁場を奪われた地元民のある者は、仮設住宅に暮らしながら補償金をパチンコに費やす毎日。状況は変わらない。不幸が好転することもなく、悪化することは表面的には抑えられている。奇妙
マタンギ!(爆) この手の作品としては成功している部類だが、これまた日本映画の悪いところで、後半にシリアスな愁嘆場を用意してしまい冗長に陥っている。原作通りなのかもしれないが安田顕なんてギャグキャラなんだから勿体ぶってその挙句に死なせること
まったくもって余計な話だが、コンスタントにヒット作を監督し続けている映画監督以外の監督は普段何して生きてるのだろうかと思う。いや、監督に限らず脚本家も役者もだけど。とても怖くて問い詰めたことはない(失礼だしね)。本業が別にある。大学や専門
原題は『パリは待ってくれる』、つまりルビッチの『天国は待ってくれる』から取っているのだ。このことに気付くと、ただの「映画製作者夫人、パリに行くまでグルメと観光の旅」としか思えないこの映画がちょっとだけ違って見えてくる。いや全然違う話なのだ
マーフィーの法則(懐かしー)というか、物事が一度悪い方に転がり始めると誰にも止めることなど出来なくなる。SFホラーなんだけど、ブラックな教訓譚でもある。 人間は完璧ではない。それぞれに個性があり感情がある。その微妙な機微が隙が生まれる原因と
これまた実話が基になっているという。公的記録に、ヒトラー政権下で政権を痛烈に批判したカードをベルリンの街中に密かに置いていくというささやかな抵抗を試み続け処刑された夫婦が存在したと書き残されている。 劇中の会話は英語である。演者もエマ・ト
末期の肺がんで闘病することを止めた親友のために、出来ることは何だろうか。 向田邦子の『あ・うん』は本来もっと長く描かれていく筈だった。向田の急逝により第2部にて完となってしまったが。描かれざる続編で、戦時中から戦後、あの2つの家族はいかに
私は製作費100億円超(日本円換算)の映画も観に行くし製作費10万円の映画も観に行く。これらを同じ土俵の上に並べて語ってはならないぐらいのことは承知している。格闘技の体重別階級というのが近いかもしれない。ややこしいのは、10万円映画が100億円映画
1年にたった数本、或いは数年に一度、こんな映画に出逢う。 思い出すと涙が出そうになるような、そんな映画に。 物語を語るための映画ではない。設定を説明する映画ではない。 おかしな人物たちのおかしな行動を見せる映画でもない。 ストーリーの説明