テレビドラマの黄金期を創り世に認められる大ベテラン演出家であっても、「本編」への憧憬というか劣等感というか、それともテレビの世界がすっかり変質してしまったゆえか、劇場公開映画を撮ろうとする。(なお、堤や本広、大友ら比較的若い世代のディレク
新海誠の作品については食わず嫌いというのでもないがずっと縁がなかったが、たまたま近年BSで『ほしのこえ』を放送しているのを視て、こんな物語を紡ぐ作家なのかと認識した次第。かなりハード(ボイルド)なジュヴナイルSFなのだが、ゆで卵の黄身と白
当初海の向こう(本国)からは不評しか聞こえて来なかったが、それがどうやらその多くが差別的感情によるものだと知った。オリジナルの男性4人組(ビル・マーレイ、ダン・エイクロイド、ハロルド・ライミス、アーニー・ハドソン)をそれぞれのキャラは何と
以前『へんげ』という怪作(※)にして感動作としかいいようがない奇妙なテイストの作品を造った大畑創。((※)この「怪作」の「怪」は「怪獣」の怪でもあるのだが、さりとて『へんげ』がいわゆる怪獣映画というわけではない) このひとの作るものはカテゴラ
2014年11月7日(だったかな)午後5時。ポーランド、ワルシャワ、その都心。複数の人間の運命がたった1つの「事故」がきっかけで絡み合い、たった11分間で彼らの人生が極端に変わってしまう。いくつもの「11」が露出するが、むろんこれは「9・11」からで
都心でもなく田舎でもない京葉地域の片隅。社会の底辺で少しばかりのし上がろうと足掻く青年たち。ケン=冷静で幾分か常識ある兄貴分、内縁?の妻は妊娠中。カズ(カズヤ)=やたら粗暴で挑戦的、子どもの頃に自分を虐待した母はアルツハイマー。それに弟分
大英帝国の植民地やその名残があった時代のほうが思想的文化的にずっと自由だったというのは、ものすごいアイロニーだと思う。いや、そもそもイスラム教(世界)は杓子定規な宗教(社会)ではないのだが、欧米諸国による覇権、グローバリズムと対峙するなかで
たぶんそれはちょっとしたズレからなのではないか。大人になっていない女(おそらく家庭環境にも問題があったため)が母親になり、無知と貧困の中で息子2人をどう育てればいいか分からず、でも愛情がないわけではない(育児放棄気味だが)。幼くして上の息
過去のシリーズと矛盾というか繋がってない部分もあるような。まあ、いくつもパラレルワールドが入り組んでいるのがアメコミの世界だから(ご都合主義極まりない)。 アメリカの戦後史とシンクロさせながら描いてきたXメン・ビギニング3部作だけど、前作
何がどう悪いというか、最初からボタンを掛け違ってしまうと、スタッフやキャストがどんなに奮闘しようがしまいがどうにもならん、という例。誰だよ、企画を考えた人間は。 しかし、高橋泉(脚本家)ってデビューの頃にいた地点、"地平"からどんどん遠ざか
この作品は、学校モノの典型−出来の悪くバラバラのクラスが或る目的の為に一致団結して成し遂げることによって成長する−を取りながらそれが肝ではなく、ましてやホロコーストがテーマの作品でもない。 人種のルツボなんてもんじゃない。人種も宗教も性格
パッと見では分からないのだが、これ、10数年ほど前の近過去を舞台にしている(と今気付いた)。だから、パソコンは出てきてもスマホは出てこないし、旅先から主人公が自宅にいる妻に連絡するのは公衆電話。原作(ノンフィクション)の設定を踏襲しているわ
あなたと呼べば あなたと答える 山のこだまの 嬉しさよ 「あなた」 「なあんだい」 空は青空 二人は若い (サトウ・ハチロー「二人は若い」) 劇中に流れるわけではないが、この歌が流行った頃、二人は出逢った。かの地が日本の一部であった時代だ
百花繚乱、じゃなかった百家争鳴状態で、私自身もTwitter等でその都度呟いているゆえ、ここで改めて何を語らん。
原題は「ブーメラン」(原作小説の題名通り)。 亡母の事故死に関して漠然とだが「ナニカアル」とずっと引っ掛かったまま生きてきた主人公の男40歳。当時の記憶が曖昧で引っ掛かってるけど家族で話せない。父、継母、祖母(父の母)… そういう精神面が影響
『イカとクジラ』も『フランシス・ハ』も観損なっている。めぼしいものは頑張って?観てるつもりなんだけど、こういうことは避けられない。 四十にして不惑(まよわず)とは言うけれど、まあこれはそれだけ苦悩が深い世代だから敢えて言ってるんだよね、理
ソ連、共産主義に対するアメリカ市民の恐怖心というのはいったいどこから生まれたのか。ナチスドイツ、そして日本を敗北させることで一旦は緩和された反共感情を戦勝後再点火させた主犯は資本家及びそいつらと結びついた政治家たちなのだけれど、それだけで