21世紀の世にあって、名指揮者名映画監督といえどもそうそう19世紀的な耽美に浸っていられるわけではない。けれど、齢八十を迎えて一人-引退した音楽家(マイケル・ケイン)は日々無気力無為にしかし死なずに生きるため、もう一人-現役にこだわる映画監督(
暴力シーン、犯罪実行シーンもなく、ひたすらカメラは取材者-新聞記者たちに寄り添い、彼らの目を通して被害者や加害者たちを捉え被害の実態を顕わにしていく。そして彼らが憤激し苦悩し自省する姿からも離れない。 インターネットに押され、というより、
酷い邦題である。しかし原題(オランダ映画)通り『マッターホルン』なら何の映画か分からない。タイトルで内容を説明してしまうと台無しになってしまうタイプの作品である。そう考えると、この反語的でさえない『孤独のススメ』というタイトルでもいいのか
前作『滝を見に行く』ではキャストはほぼ素人のオバチャンたちだけという挑戦をやってのけた沖田修一が、今度はベテラン、芸達者(子役も含め)を集めて笑い豊かな家族の物語を作ってみせた。沖田の作品には悪人も出てこないが実は(かなり変わった人間は出
男(妻帯者)の立場から見るしかないわけで、思い知らされるわけである、夫とはかくも愚かな生き物なのか、と。自分の一番の理解者であって欲しい、そのはずだ。だから出来るだけ包み隠さず本心を打ち明けようとする。そんなことをしては駄目なのだ。阿呆、
監禁されている間が約1時間、脱出してからが約1時間、つまりだいたい半々ぐらいになるような配分。構成としては本来これだと どっちつかずになってしまうところなのだが、この作品、あくまでも男の子が主役であり終始男の子の視線、視点、心理を通して描
『嘆きの天使』の主人公の男が教授ではなく小学校の教諭で、彼が惹かれるのが踊り子ではなく教え子の少女だったら…。身を崩すだけでは収まらず、『白夜行』の主人公(男の方)のようにヒロインのために罪を重ね、暗黒の世界に堕ちていったのかもしれない。
こういう志ある映画を撮ろうとすると、時代背景だとか設定だとかが現代(2010年代)の日本ではなかったりすることが多い一方、予算規模が小さいことが殆どで、つまり、いろんなところでチープさが目立つことになる。決して細かい粗探しをするような、ちょっ
まあこれも「北陸新幹線出来たから便乗しよう」作品の1本ではあるのだが、何を考えたか当地に地縁があるように思えない(あるのかも)石井聰亙(岳龍)に室生犀星を撮らせようという。石井隆ではなくて。いや、石井隆もちょっと違うけど。あえていうと『ユ
アジア各国で順次ローカルカスタマイズした物が制作され、国際競作となってしまった。韓国(オリジナル)、中国、ベトナムに続いて本邦でも公開(この先、アジアのみならずドイツでもリメイクとか。確かに万国で通用するネタではある)。これ、考えてみたら
作品が制作される時代、社会の風潮や風俗、思想を肯定・受容するのかそれとも否定・拒否するのか。作り手という存在は常にそのことを問われているのであるが(表層だけを視ていると誤解してしまいがち)、さて岩井俊二はどちらなのか。作劇としてのチープさ