これはおもしろそうですね。ノンポリだから思想史的系譜として関心がある。けど、ポリであろうがノンポリであろうが、誰しも今此処に関わらないわけにはいかない。なーんちゃって。出来事のポリティクス―知ー政治と新たな協働 単行本 – 2008/7マウリツ
かなり昔に書いた『目のなかに見える光-スピルバーグに表される人と人との結びつきを形成する4つの徴の考察 -』。フォード、キャプラ、スピルバーグの考察。かつてとは違ってきている私自身であるが、かつての私自身が書いたものを再読。そして、今を、現代
3.主人公の育まれる潜在能力 ところで、スピルバーグにおけるエスタブリッシュ・シークエンス、或いは冒頭の方に、いま現前しながらも不在する何かが表されている。『未知との遭遇』において、砂塵のなかから第二次世界大戦に使われたらしい戦闘機の姿はた
フォード、キャプラ、スピルバーグ、、、 私の記憶が正しければ、フォードは戦後の第一作目は得意な西部劇ではじめるぞ!と『荒野の決闘』で大ヒットを飛ばし、その資金をもとに、『キングコング』を創ったなんとかクーパーと独立プロ、アゴーシープロダ
『マッドマックス 怒りのデス・ロード』はとってもアドレナリンドライブだったけれど『アドレナリンドライブ』はタイトルが表わすほどブッキャーンとはなかった。けれど、『WOOD JOB!〜神去なあなあ日常〜』、矢口史靖の天才的演出に驚いた。とっても素敵な作
『ローマの休日』久しぶりに観る。やはりよい。最終盤の新聞記者に挨拶するとこ、どこでカットするのかと観ていると、グレゴリーペックらに近づくとこまで長回し。思い出せば、ワイラー、長回しのヒトでもある。かつてはさりげない感動が生まれたと思った、ペ
横尾龍彦 帰国記念展覧会「みちすがら」 プリミティフの響きあり。原初への志向性は無数の星咲く夜空に、青空と地上の結びつきに、土の匂いに、森と海のざわめきに、有る。精神ではなく、人間の根源。通りに面した扉が開く1階のキッドアイラックホー
渡辺有葵個展「私の呼吸は音楽と共に」 ドリップした絵具は現前されし、偶像性のパラドクスを越え我、遥か遠くそのなかへといざなわれる。唯物論では語りえない、その永遠性が、ここのところ多く表わされる人物や具象的矩形をもって、ギャクによりくっきり
トランプの発言きくと、政治性を帯びないパンクロッカーのようだ。サンダースが人気をえてきている現在のアメリカの背景が気になる。wikiで調べると民主社会主義には階級闘争はないと言ってはる。アドルノ的なものはやはりヨーロッパ的なものなのか。王
笑った。ムチャクチャなこと言うな。でもモットモなことであろう。フと、かつてコロニーだった頃に言えなかったことを今や凌駕して言えちゃうようになった、でなく、ホントのとこは思考のなかでは未だ属国的なミームが継続中なのかなと思ったりする。フィクサ
gomphos+carpos 2015.11.2 江古田BUDDYにて 藤田陽介の朗詠の温もりにぬめり込むように地下の江古田BUDDYへハマりゆくとき、吉兼聡と千葉広樹のフリーキーなハウリングに包まれ三つの女神たち~田路紅瑠美、尾身美苗、小松睦~はあらわれる。宵月夜に反応
『殺人カメラ』(1952;ロッセリーニ) デシーカの『ミラノの奇蹟』(1951)もそうだったけれど、イノヴェーションの世界で取り残された人々が表される。 アメリカンが土地を買収しにやってくるが、戦後においてもいつの時代においても搾取がなくなるこ