3月29日の日曜日、この月曜日から来週の金曜日までぶっ続けの泊り込みで年度末対応にあたっているボクは15時に会社を出て休憩に入った。吉祥寺では雨がポツリポツリと降ってきた。コンビニでサンドイッチを買ってマンガ喫茶に入り、テレビのチャンネルをNHKに
今回の出場チームの中でも屈指の進学校である松山東が1回戦を突破した。このような進学校が出てくるたびに頭脳野球だとかデータ分析とか大げさに報道される。そのことにボクは大いに違和感がある。そもそも、そのような記事には勉強ができる子は野球が下手で
最終回、こんな甲子園の雰囲気はいつ以来だろう。あの時とは状況も観客数も立場も違う。だけど、ボクはあの決勝戦を思い出した。中京大中京と日本文理との決勝戦・・・・・大差でリードされていた日本文理は9回2死走者なしから1点差まで追い上げたなおもチャ
息詰まるような投手戦だった。といっても、仕事の合間の1時間の休憩時間にマンガ喫茶で見ただけだが・・・・・0−0のまま試合は進んでいた。ボクが見たのは7回裏から、浦学は何度も先頭打者を出してチャンスを作ったが、平安の高橋投手の気持ちのこもった投
第1日の第3試合、大阪桐蔭対東海大菅生という大一番が終わって、この日最後の試合は何度も優勝経験のある常総学院と米子北との対戦だった。今回の日本代表に選ばれているサッカーの昌子選手の出身校である米子北はサッカーでは全国上位レベルであるが野球は初
1回の表、東海大菅生の勝俣投手は2つの四死球を出したあと2本の安打を打たれ、さらに押し出しの四球で2点を失った。それでも、彼はベンチに戻ってきたとき少し笑顔を見せた。いやー、やられちゃったよ・・・・そんな感じだった。1回裏の最初の打席、2ボールノ
4回表、光星は先頭打者を安打で出すと野選と四球で無死満塁とし犠牲フライで同点とした。そして次の打者が内野ゴロに終わり2死2・3塁となった後だ。打席に立った馬場君は3ボールノーストライクから空振りした。このカウントから打ってくる。その光星の迫力に
ボクは以前金融機関で勤務していた。当然数年おきに転勤がある。新しい上司が来る。かわいがっていた部下が去る。同期が上司としてやって来ることも、かつて上司だった人が残念な辞令を受けてボクと同じ職場をともにすることもある。しかし、いずれの場合でも
雷鳥は頂を目指す・・・大きな横断幕が掲げられた。ボクは初めて見た。J1に初昇格して、これほどまでに堂々と戦うチームを・・・・堂々と応援するサポーターを・・・・得点のにおいはする。しかし、決まらない・・・・それはサッカーでは何度も見てきたこと
新八柱から武蔵野線の南船橋行の電車に乗った。先頭車両に乗るそのほとんどの人は手に新聞を持ち船橋法典の駅で降りることをボクは経験上知っている。しかし、今日はその中に若いカップルがいた。並んでシートに座っている女性の膝の上のトートバックからは花
驚いた。今日の五輪年代の強化試合だ。解説の清水秀彦さんの頭髪・・・日本がゴールを決めた後行われたゆりかごダンス・・・・清水さん、頭薄くなったなぁ・・・・22歳以下の代表で第2子誕生の遠藤航選手・・・・しかし、一番驚いたのはこの日のミャンマーの
3.11またこの日がやってきた。日本人なら絶対に忘れない日が・・・・2010年の11月、ボクは明治神宮大会で東北高校の試合を見た。相手はのちに楽天に入団する鎌田投手を擁する注目の金沢高校だった。東北の主将は4番でエースの上村君・・・・負けん気の強そう
3月3日、シスタートウショウとオグリローマン、アドマイヤオーラが亡くなった。2頭の桜花賞馬とあのブエナビスタの兄である。これが同じ日に・・・・この世を去った。そして、7日にはオリエンタルアートが死亡・・・・G1を3つも取ったドリームジャーニー
まだまだ日本のサッカーが今よりレベルが低かった時・・・・・カズがイタリアのリーグに入団した。もっと前なら奥寺さんや金田さんもドイツのクラブに入っている。その時の日本はどうだっただろう。カズがシュートを打っただけで大騒ぎし、クロスバーに当たる