まず時事放談ではじまり、サンデーモーニングで脇を固めて、高齢者の流れをまとめあげる。若者(比較的)が見る頃にサンジャポで煙幕をはり、その若い者たちが外へゆくころにまた、噂の東京マガジンで「いまどきの若いもんのやること」をこきおろす。特に東京
「めくらは、家畜以下です。生きてるだけでも、ありがたいと思わなければなりません」「女性だけです。目の見えない男性までやしなうよゆうがありません。なぜなら、目の見えない女性は、目の見える赤んぼうを産めるからです」児童書『怪奇植物トリフィドの侵
なのに、「言わなくても判ると思った」「そこは察しろ」「阿吽の呼吸」とかなんとか。言えば明快に通じるそれをわざわざ伏せて、んで通じなければ「おまえ何考えてるのかわからん」って、それはないだろう。というかそーゆーものを求めちゃうもんだから、そん
同じ煮物ばかり食べるとか、豚汁みたいに何もかもバランス浴入ったもの+飯、みたいなものにしてしまうとか。それなら「まとめて作る」もしやすいし。いがいと「あさ、同じ牛丼屋で同じ朝食をたべる」人っているので、そうと決めれば出来ることだよ。そんなコ
エアコンなしなら、せめて30分に一度。200ccくらい。まとめて飲んでも意味がない。新陳代謝が切れないように、の意味で「こまめに」なのだ。そして可能なかぎり高温と日照を避ける。涼しいに越したことはない。やらなきゃ死ぬよ。「昔はこーだった」は通じな
土用の丑の日のあの風習は、暑くてまともに食べたくなくなる「江戸時代の夏」の話。ヘタしたら白飯と梅干、漬物だけ食べたら日常だったあの時代には、滋養のあるウナギは即効性があった。じっさい侍の日記風のものに「明日は御前試合だから魚が食べたい」ての
「ワシの知ってるあの人が言ってたんじゃ」「テレビでみのもんたさんが言ってたんじゃ」「志の輔がガッテンしてくれたんじゃ」これで丸呑みに信じるんかい。マスコミもあんまり当てにはならんが、それ以下な個人の情報なんかを無手順で取り込んだらいかんでし
「野菜を食べてて悪いわけがない」という、絶対安全地帯からモノが言えちゃうところ。それ自体は正解なのだろうけど、世の中そんなに明快な白黒で分けられるもんじゃないんだわ。調べたけど、肉食を避けることの栄養学面での理由はないね。彼らは宗教上の理由
この競技をしたことのない人からの「すごい」というつぶやき。翻って、弓道関係者の「いや、わりとありますよ」のつぶやき。ありふれた事だったが、それを目にする人が一般人ではないために、その一般人からは奇跡に見えるということ。手品の極意にも、詐欺師