昨日は休み。 嫁さんは仕事。昼と夜の食事は私が作らなきゃ!冷凍庫から取り出したのは銀じゃけの味噌漬け。これは簡単、単にグリルに入れて自動で9分で焼き上がる。一番手の込んだのは豚角煮。朝の新聞広告に入っていた豚バラ118円。これは安いと買いに行
山号福聚山、曹洞宗。1588年(天正16)鷹司信房の北の方嶽星院が父の熊本城主佐々陸奥守成政の菩提を弔うために、曹洞宗の僧・大雲永瑞(だいうん えいずい、1482-1562)を開山として建立されました。当初は慈眼庵とよばれ、京都市上京区の西陣地区には慈眼庵町
観音寺には「百叩きの門」と呼ばれる山門があります。この山門は、もともとは豊臣秀吉が建てた伏見城の牢獄の門で、楠の一枚板という立派な門です。罪人はこの門の前で青竹で百叩きされ釈放されたのですが、中にはあまりの痛みのため、その場で息絶える罪人も
京都坊目誌(きょうとぼうもくし・京都の地誌、歴史書)によれば、浄土宗鎮西派知恩寺派の百万遍知恩寺に属する尼寺で、光清寺の西側に隣接しています。 宝暦年中(1751年〜1763年)に僧喚誉が開祖と言われています。 五劫院の不思議は山門の脇にある小袖門の
明治時代に入り、近衛家の下屋敷を購入し、別邸とした木戸孝允。西郷隆盛、大久保利通(維新の三傑)らとともに尊王攘夷、討幕運動に指導的役割を果たしたことはご存知でしょう。木戸孝允は明治10年(1877)5月26日にこの家で世を去りました。木戸が亡くなる
その昔、御所の西に湧き水があり、しばしば道が浸水したことから名付けられたという出水通り。光清寺は上京区出水通六軒西入ル七番町にある臨済宗建仁寺派の寺院です。本尊は聖観音。寛文九年(1669)伏見宮貞致親王が生母慈眼院殿心和清尼の菩提を弔うため、開
宮大工の大手と言っていいでしょう。勉強のために見学させてもらいに行きました。ここでいろいろな話を聞き、目から鱗の思いです。例えばこんな継手を見ました。まさに難解なパズル以上じゃありませんか。木材同士の接合については、木造建築の分野でも家具、
焼いても、煮ても、蒸しても、揚げても、どう調理してもおいしい銀ひらすですが、味噌漬けはまた格別ですね。